おはよう、ブラックホール2

おはよ〜
朝になってた
布団に入ったのは11時半
ダラダラとインターネットの海を泳いで、
6割増しの綺麗な過去の羅列ことエントリーシートを書いて、
気がつけばこんな時間だ
おはよう

4月、新年度2日目の朝だ
1日目の朝も、4月がきてほしくなくて起きてたら朝になってた
みんな偉いよ
私は新年度に完全敗北し、さまざまな精神的ダメージから身体的ダメージをおい、布団から出られずにいるよ
みんな偉い

おはようブラックホールも2回目のタイトル
1回目のブラックホールは当時好きだった人と観たかったライブを飛ばし、カフェか、喫茶店か、レストランかどれもしっくりこないアメ村のお店でお話して、なーんだかあんまり思い出せなくて、理解もできなくてただ文章を並べて過去にしたお話
ダイエットするために紙タバコから手巻きタバコに変えたと言う話をしていた
お互いに一人暮らしをしたくて、だいたい同じ場所で探してたからノリで一緒に住んじゃえばなんて話もした
そこで私は時が止まってた
だからその後の宇宙について学んでて、とか
ブラックホールがどう、とかそんな話は上の空だった
だけど話自体は記憶に残ってて、部分的になんとなく今まで覚えて、それがなんだったかなあ、ブラックホールと時間は関係してるんだっけ、方法序説はまた別の話か、なんか面白かったなあ
あ、あの時食べたチーズケーキ美味しかったなあ
なんかよくわかんないお酒、とにかく甘かったなあとか色んなことを思い出して、ブラックホールのことなんかあの時のチーズケーキの味よりも思い出せない
ただ、興味があって、それでももう直接本人からブラックホールの話ってあれなんだったっけ、もう一回説明してほしいなんて聞けないので過去だなあと思っていた
それが4月最初の日までのこと

ややこしいのでもう友人として話を進めることにするけれど、同性だったら大親友になれてたんじゃないかみたいなくらいの人がいて、裏を返せば性別が違うだけでこんなにも曖昧になるのかと悔しくなるんだけれど、そんな友人と話をしていた
オッペンハイマーに感化された友人は相対性理論を理解しようとしているらしい
もう理解もできたらしく、わかりやすく説明をしてもらった
私はそれに興味を持ち、おもしろいなあと思いながら話を聞き、ちゃんと理解しているよ、おもしろいからどんどん続けてよとわかるように大袈裟な相槌をする
わからないことがあって、という話には一緒に考えたりしていた

そんな話の中途中でブラックホールの話が出てきた
どこかで聴いたことがある説明と、
部分的な記憶が組み合わさっていく
ああ、こういうことか、と思った頃には
好きだった人の顔を思い出しやっと理解できたとすこし近づけたような気がした
そしてやっぱり何かが足りない時繋ぎ合わせてくれるのも、助けてくれるのも友人であることを嬉しく思う
友人も好きだった人も同じことに興味を持ち、彼らは彼らなりの言葉で説明してくれる
彼等なりの、彼らの言葉を紡いで、学んだことを教えてくれる なんていい時間なんだろう
好きな人に教えてもらったことなんて覚えておかなきゃもったいない
私はまた少し賢くなれたような気がした

過去も未来も全部渡れるんだって
短くても長くても時間の長さより質量がいいよ
人生も時間を測ったものかもしれないけど、測りきれない人生でいたいよ
測らせてやるもんかー、測定不能にしてやるぜ


追記
やっとオッペンハイマーを観た
友人から先に予備知識を教えてもらい、はじまるぎりぎりまで読みこんでいた
そのせいなのか、というか毎日考えているからなのか
友人の顔がずっと頭にあった
ブラックホールの話は点と点がしっかり結びついた
あの時、理解できなかった言葉たちが理解できていく感覚は
あの頃を過去にしてしまうような気がして少し苦しくなった目を背けた
友人があの映画を見てからたびたび質問してくることを私も同じように疑問に思った
似ているのか似ていないのか、あの映画を観た人の多くが思う疑問なのか
なんでもいいけれど、ずっと友人が頭に棲んでいる

手を繋いでも人とふれあっても繋がっても間には私と他人の間には粒子があって
他人とは物理的にちゃんと繋がりあうことが出来ない
それなら言葉は目に見えないから理解しあう、汲み取ることで繋がりあえたらいいのに

ブラックホールの話をしてくれた当時好きだった人は何も変わらず、自分軸を持ち続けてなんだか生きにくそうに生きやすく生活している
近況を時々知れるのはSNSの普及のいいとこでもあり悪いとこでもある
変わっていないというよりも変化にも気づけないほど知り合えないまま終わってしまったから表面上の変化しかくみ取ることが出来ないといった方が正しいだろう
よくわからないタトゥーが増えていたけれど
かわらず今も音楽と音楽じゃない何かの間をいいとしている
未だにわからないままだ
多分いつか理解できる時ができるんだと思う
その時事実を思い出すことが出来るのだろうか
本当の出来事から目を背け、綺麗に美化された過去ばかりに目を向けてしまう気がしている
美化された過去は確かにきれいかもしれない
だけど本質から目をそらさないように
そらしちゃいけない美化できない過去も大事にできるように
全部抱えていたいよ

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