見出し画像

映画『PERFECT DAYS』が教えてくれた"瞬間"の重み

眠いけど、眠れないので言葉を出してみようと思いnoteをリセットしてみた。ただいま、AM1:09。完全に深夜テンション。

Facebookには数年前の自分の投稿が「過去の今日」として突如表示されることがある。それに粋な一言を添えてシェアすることもできるのだが、先日ふと表示された「5年前の今日」をシェアすることが出来なかった。内容はすごく良いこと書いてたんだけど。

どうしてシェア出来なかったのだろうか。
という思いが頭の片隅にあって、ずっと脳の一部が動いている状態なのだが、おそらく映画『PERFECT DAYS』の影響がすごくある気がする。

ヴィム・ヴェンダース×役所広司という最強タッグで創造の領域=可能性=エネルギーが無限に広がる様をみせてくれた本作。カンヌ国際映画祭では役所広司が最優秀男優賞を受賞し話題になった。

©2023 MASTER MIND Ltd.

タイトルに”DAYS”とあるように、トイレ清掃員として日々を生きる主人公・平山の美しく堅実な一見変化のない毎日がヴェンダースお得意のドキュメンタリータッチでスクリーンに映し出されるのだが、不思議とそのルーティンは同じことの繰り返しとは思えない。

"ルーティン"という言葉には、無意識に感情のないものをイメージしてしまうが、平山の表情はいつも朗らかで、どこか楽しそう。何かを見つめては、ふふと微笑む。私の知っている"ルーティン"に彼はいない。

「こんどはこんど、今は今」
仕事に真摯に向き合い、植物を愛で、光と影を見つめ、自分が存在する世界が他人の世界とは一線を画していることを認識している平山が発したこの言葉からは、過去でも未来でも今でもなく、"瞬間"を感じられる。
そう、平山は瞬間を生きている。

©2023 MASTER MIND Ltd.

"今"は、こうして  と書いた直後に過去となっている。そんな瞬間が膨大に積み重なって「DAY」となり、「DAYS」となっていく。

Facebookに表示された「5年前の今日」は、「DAY」の一つ。私が投稿という形で言葉にした”今なにしてる?”は、膨大な瞬間の積み重なりを編集した「DAY」の切り抜き。つまりその投稿に"瞬間"はないのである。

瞬間に目を向けたい。瞬間に宿る感情を大切にしていきたい。
平山の生き様、最後のあの表情を観てしまった私は、フィクションすぎる「DAYの切り抜き」をシェアすることに何の価値も感じなかった。

ただいまAM2:07。少しだけすっきりしました。


映画『PERFECT DAYS』
https://www.perfectdays-movie.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?