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芸術家:ベン・シャーンから学んだ「伝えたいことがあるなら」

「書くこと」を意識し始めたのは10年以上前、アートプロデュースを学んでいた大学生の時だったと思います。

駅ビル内の商業施設にある本屋さんに、狭いとも広いとも言えない芸術のコーナーがあり、バイト前はいつも新刊を立ち読みし、ゆっくり読みたくなったら購入していました。

そこで出会ったのが芸術新潮のベン・シャーン特集。

ベン・シャーンは、1898年、帝政ロシア時代の現リトアニアに生まれた芸術家。”社会派”とも言われた彼の表現方法は、絵画、写真、ポスター、壁画、絵本と幅広く、”今”存在している現実に対する自分の怒りや感情を作品や行動にしました。

ユダヤ人移民として貧しく苦しい経験もしたベンでしたが、勉強好きで夜間高校に通っていた頃には「将来は、画家になる」と既に考えていたそうです。

アングル・ヴューファインダー付カメラを持つ自画像 / 1939年頃

ベンの胸打つ創作に関してはここでは割愛しますが、ベン・シャーンとの出会いは「書くこと」への意識を大きくしました。

「書くこと」ではなく「描くこと」なのでは?
と、言葉の表現に敏感な方は思われたかもしれません。

画家になりたいベンの心を貧しいながらもすくい取りたかったベンの父が、ベンを石版画工房の職につかせたことで、彼の”絵の勉強”は「文字を描く」ことからはじまりました。そして、ベンの「言葉」に対する真摯な姿勢は生涯を通してありました。

私は私(第三のアルファベット) / 1966年

芸術新潮の表紙に掲載され私の心を動かした線描は、1968年にベンが制作した最後の作品である、版画集『一行の詩のためには・・・:リルケ「マルテの手記」より』に収められた一つ。

そのタイトルは、【一篇の詩の最初の言葉】

1920年代にベンはリルケの詩と出会っていましたが、死を間際にしてようやく自分の表現にしようとしました。リルケという一人の詩人の「言葉」を、その裏に存在する深い思考を、ひとつひとつカタチにしたのです。

大学生の私は、「書くこと」と「描くこと」はベンの中では同じだったのではないかと、自分がある意味「言葉」に縛られていることに気付きました。そして自分にとっての「かくこと」をしなければという焦りと、自分の進むべき方向が微かに見えた、若者らしい喜びもあったのです。

ことばや文字は絵の意味をひろげ、豊かにしうる。それらはその絵から独立していると同時に、不可欠なものであり、ひとつの対位法的な要素なのだ。

ベン・シャーン『文字をめぐる愛とよろこび』宮川敦訳、美術出版社 1964年


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