何故少子化が問題なの?


今更だよね、こんな事言っても。

何せ、50年近くに渡って子供の数は減り続けている。
50年って、半世紀ですよ、半世紀。
その間、国は何の有効手段も打てなかったという証拠だ。

いや、打つ気はあったと思われる。
何せ少子化が進行して国家そのものが滅亡しちゃいました、なんて国は歴史上いくらでもある。学生時代に歴史を座学で学んだであろう高級官僚が国家存亡の危機を察知できない訳がない(と思う)。

何が問題なのかというのが全く分かっていないんだろうなぁという典型がこちらの記事。

飴ぶら下げて他地域から子供と子育て世代を強奪するという『社会増』の手段を取ってきた政治家を「少子化対策のエキスパート」と考えているとしたら、おめでたいにも程があるんですけどね。
それなら、ロシアみたいに子供を誘拐するのも少子化対策なんですか?って極論に行き着きかねないんですが。

はっきり言って、明石市の事例はなんの参考にもなりません。


本心では子供の増加を願っていない大人達

そもそも、本朝の民意は「少子化対策は本当に必要」だと思っていたのだろうか?そして今現在でも思っているのだろうか?

非常に、物凄く疑わしい。

上は経済学者の代表的な意見、下は社会学者の代表的な意見である。効率最優先の経済学者からすれば「子育ては効率化から逸脱した非経済的行為」であり、ジェンダーキメた社会学者からすれば「女性様の自由を奪う子育てはジェンダーフリーの教義から外れる」のだそうだ。

経済学者と社会学者がハバを利かせる当世本朝においては、これが一般的通念だろう。経済学者が「イノベーションの為」と称し、社会学者と組んで多様性を説くが、そこには『出身地域』『社会階層』『学歴』は絶対に含まれないという話の延長線上だ。

大体、これから子育て世代となっていくZ世代(あまりこの言い方は好きじゃないが、便宜上こう表現させてもらう)の意識はこれだ。実際はここまで極端な数字ではないのかもしれないが、それでも相当数が「お金も自由も奪われる子育ては割に合わない、ミドルクラス以上の贅沢」という意識を内在化しつつある。

もし子供が生まれたとしても、子供が金銭的不自由に襲われないという保証はゼロだ。何せ、『出身地域』『社会階層』『学歴』は密接に絡み合い、人生を半ば決定してしまう。

現実はこれなので反出生主義に傾く。

「少子化が大変だー」と言いながら、日々民意はそれとは相反する事を言っている。「子供の声が煩い」という苦情に対応した結果、子供の遊び場である公園を廃止したなんて事例は典型例だ。そしてその公園跡地は住宅地として民間に売却されるのだから、無駄削減を第一義に据える民意にとっては二重のメリットがある。

ところが、少子化の報道がされると今度は「国の存亡の危機」とかさも大事の様に報道される。政府の中の人達は「お前らどっちやねん、はっきりせいや!」とやきもきするのも当たり前ではないか。


子供という名前の物言わぬ奴隷が欲しいというホンネ

少子化対策は「将来的な税収の確保」と「再生産人口の急激な減少」というのがお題目らしいが、問題だーモンダイだーと騒いでいる連中の本音は2つに集約される。

  • このままでは誰が俺らの安楽な生活の負担するんだ?

  • 誰が老後の面倒を見てくれるんだ?

「何故少子化が問題なのか」という考えに至った、その動機が余りにも自分勝手なのだ。

子供をお前らみたいな自分勝手な連中の奴隷にするんじゃない。
そして、子供は勝手に生えて育ってくるなどと思っている「お勉強はできるアホ」こそ、中学生物と高校倫理をリスキリングする必要があるのではないだろうか。

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