民意主義と民主主義③〜漂白された綺麗な民意

『論破』という毒

さぁ、論考の材料は揃った。そろそろ本題に行こう。

本来、民主主義制度というのは「民の衆たちによって案を持ち寄り、話し合って、よりよい案にブラッシュアップしましょう」というのがたとえ建前ではあっても本来の目的であった筈だ。

ところが、現代日本では…というか、20年以上前の2ch文化時代から、議論は「より良くする為の話し合い」ではなく、「どちらがより優れているか」のディベートが主体となっている。
議論がブラッシュアップの場ではなく、勝敗を決する場に成り下がった。結果、今では「はい、論破」な人間が圧倒的多数だ。

「はい、論破」で何が良くなるんですかね?
論破すれば生活良くなるんですか?
論破すれば労働環境良くなるんですか?
論破すれば賃金上がるんですか?
論破すれば利便性上がるんですか?

良くなるわけねぇだろ、腐れソフィスト気取りのどアホどもが。

Twitterで議論されている場面(別名・小火騒ぎ)もよく見かけるが、ただでさえ議論の蓄積が困難なSNSで、その大半が「どちらがより優れているか」を争っているのを見ると、「なんて時間の浪費をしているんだ」と思ってしまう。

Twitterで不毛なレスバしている暇があるなら、その時間を別の事に当てましょう。趣味でも遊びでも構いませんから。


正しい事は必ず採用され実行されるとは限らない

借りに、この不毛な論破バトルに勝利したとしよう。
それでも実行までの道は極めて遠い。

そもそも、問題設定が間違っているなんてケースがザラにある。正解がゼロの場合も、2つ以上の場合もある。

典型的なのが「Twitter上のMMT問答」だ。
あれは会計的事実を淡々と並べている前半部分は正しい(だって会計処理なんだもの)のだが、後半部分は到底日本じゃ導入できないシロモノである。
ところが、MMT肯定派は前半部分だけ都合よく持ち出してMMTを全肯定する。逆にMMT否定派は日本の現実と乖離した後半部分を持ち出して「これだからMMTはダメなんだ!」と全否定する。

アレは経済政策論争ではなくイデオロギー論争、宗門論争である。


ソフィスト達は絶対に手を汚さない

この手の宗門論争が大好きな連中は『居住地を自分の勝手な虚栄心を満たす道具』にするのが大好きなのに、その虚栄心を満たす道具である居住地の地域住民の自治活動(要は町内会の清掃活動とか消防団活動)に対しては非常に冷淡だ。
真面目に地道に働いて社会リソースを生産している土の匂いのする保守を利権だ既得権益層だと攻撃する癖に、インターネットスラム街やインターネット限界集落で「はい、論破」なソフィストとして振る舞う。

彼らにとって必要なのは自分勝手に操作できる民意だ。
決して「話し合いによる、より良い案の結果」の民主主義ではない。
故に民主主義国と僭称するのではなく、民意主義国と正確に名乗るべきであろう。

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