八角様の話

八角様の話

自分の田舎に『八角様』と呼ばれるお堂がある。
鬱蒼と生い茂った森の中に切り開かれた、大体一辺8間程度の正方形の広場の真ん中にポツンと建てられている。
形状は完全な正八角形で、方角に正対している。
入り口は南東に設けられており、北東の鬼門に当たる辺は意図的に欠けが作られている。その部分には田舎のお堂には相応しくない豪奢な三体の猿の絵が魔除けとして飾られている。
そして、北東部を除く壁面に無機質に置かれている数段の棚に、ずらりと並べられている骨壷。
そのお堂及び周辺の森は禁足地とされており、立ち入りが許されるのは年に一回のお盆の時だけだ…。















などと書くと、5chの怖い話スレっぽくなるのだが、実はこの八角様は集落住人の納骨堂になっている。高祖父も、曽祖父も、祖父も、今ではこの納骨堂に遺骨が納められている。

自分はこの八角様と言われる納骨堂に入ったことは一回しかない。最近、特にその偉大さを仰ぎ見る祖父の納骨の時だ。

何故、そういう風習になったのかはわからないが、近所の爺様曰く、昔はこの辺りも野犬や狼に猪が多かったのだそうだ。そして戦前は土葬が主で、直接龜に入れて墓に埋葬していたそうだが、野犬や狼の類がやってくるというので、そういう形式になったらしい。
今でも、ある一定期間は夜間外出禁止令が出るが、それは猪狩りの為に猟友会の爺様たちが狩りをするからだそうだ。

なお、子供たちには一定期間の夜間外出禁止令は「八角様がお怒りになるから」と伝えていたらしい。こういう所から、怪談というのは生まれるものなのだなという民俗学的考察もなされる。そして、ここから「田舎の因習」なるモノも生まれていったのであろう。

だが、過疎化の波には抗えない。
もはや八角様を維持する余力すらない集落は取り壊しを決めた。自分に八角様の由来を教えてくれた集落の古老の爺さんは既に麓の高齢者施設に移っているわ、3軒隣の婆様はもはや足が自由に動かず、娘さんが付きっきりで介護している。かくいう自分も親父がまだ自由に動けるから良いものの、最近では歩きが遅くなっており非常に心配である。

そしてつい最近、儀式が行われた。
麓の寺から和尚さんを呼び、再び供養をした上で遺骨は麓の寺にまとめて引き取ってもらい、今後はその寺が供養をしていく、という事となった。


「日本人は死を厳粛に受け止める」などという嘘っぱち

何故、この話を思い出したのか。
それは、この記事を見たからだ。

我々はこれから「大無縁社会」ともいうべき時代に突入する。
自由と放埒を勘違いし、縁というものを因習として切って捨ててきた、もしくは縁より競争を第一義とし、助け合いをせせら笑い、「情けは人の為ならず」を意図的に誤認してきた現代日本人に対する強烈なしっぺ返しの結果の一つがこれだ。

無縁仏になる可能性が低い羽織ゴロから見れば、相変わらずの「ムダナゼイキンガー」でしかない。
そしてこの記事には、次に書くであろう事と通底する部分がある。

地獄の沙汰も金次第。


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