恐怖心はイノベーションの萌芽なのかもしれない(山口周さんノート感想)
山口周さんのノートを読みました。
「課題の発見」という言葉には、自分の意思や、あるべき姿を外界に宣言する、というリスクから逃げているニュアンスがある、と。
本来「課題」は「あるべき姿と現状とのギャップ」なわけだから、そもそも「あるべき姿」を主張する主体的な人間がいて初めて「課題」が生まれる。
なのに、特に日本人は「和をもって尊しとなす」という考えを大事にしすぎるせいか、あるべき姿を周りの目を気にせず主張・宣言できない傾向がある。これが日本の「失われた30年」を作り出した根本的な原因だろう、と。
だがやはり、「課題」は勇気を持ってビジョンを示す初めて”作られる”。決して「課題」は外を見渡して発見するようなものではなく、自分で勇気を持って”作る”ものだ、と締めます。
短いポストではありますが、本当に心の奥底にぐさっと響く内容でした。
ノートの一部を引用しましょう。
ここに、山口周さんの言いたいことが詰まっているように思います。
自分は安全地帯にいながら、自分の意思やビジョンとは関係なく「見つけた課題」なんて、全く本質的ではない。
そんな薄っぺらい「課題もどき」で生み出す価値なんて高が知れている。
そんなんじゃなくて、自分で「現状のここが嫌だ」「こんな世界になったらいいのに」と主張することこそ重要。
確かに、周りの目は気になる。
「何あいつ急に意識高くなって」とか
「優しくて好きだったのに」とか
「平和でいいのに波風立てやがって」とか
そんなふうに思う人は確実にいる。
けど、そこを乗り越えてこそ解決したい「課題」を自分で作れたのなら、そんなの関係ないじゃん。
頑張って勇気を出して、自分の課題の持つエネルギーに身を任せてみろよ、と。
冷静な文章の中から、そんな熱いメッセージを感じました。
事なかれ主義、変化よりは安定が良い。
でも退屈なのは嫌だし、波風も立てたくないから、現実逃避することで時間を潰す。
僕はずっと、そんなふうに生きてきた人間です。
最近も、
貯金がどんどん減って、数ヶ月もしたらそこを尽きると分かっているのに、
バイトしたり、新しい事業に本腰を入れるわけでもなく、
ただ無意味に出費を抑えて長引かせるだけ。
そんな生活を半年以上送っていました。
自分の中では、本当に情けない人間だと思っている。
何かきっかけがあれば、挑戦したいとは思っている。
でも、結局何か自分から行動を起こすちょっとの勇気が出ず、
昨日と同じ毎日を繰り返す。
そして未来もその延長線なのだろうと、諦観している自分もいるのです。
でも、結局初めの1歩は、些細なことでも「自分を出す」ことなんですよね。
ガーシーが嫌いとか、インボイス制度が反対とか、櫻坂46が好きとか、自分みたいなダメ人間が生き生きと生きるきっかけとなる事業を作りたいとか。
「自分が嫌いなものを好きな人」や「自分が好きなものを嫌いな人」を敵に回すという恐怖心や、それこそ「急に何言い出したんだ」と周りに思われるんじゃないかという羞恥心だって、もちろんあります。大いにあります。
むしろ、今までの人生はほとんど、この恐怖心や羞恥心によって「じゃあ何もしないでおこう」と選択してきたのです。
しかし、その恐怖心や羞恥心があってでも、何か挑戦して自分の人生を生きてみたいと言う気持ちは無視できないなとも思います。
最後に、またノートから引用させてください。
いわゆる「課題の発見」という言葉の持つニュアンス通りの「課題」ではなく、主体性に基づき生成された「課題」であれば、そしてその「課題」に多くの共感が集まれば、その課題はイノベーションの萌芽たりえるだろう、と。
この事実は、目先の恐怖心や羞恥心を大きく凌駕する、行動へのモチベーションになり得るように思います。
素敵な記事をありがとうございました。
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