22年間のサラリーマン生活に飽きて花屋兼コーヒー屋になる話。
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22年間のサラリーマン生活に飽きて花屋兼コーヒー屋になる話。

2019年9月末。
僕は新卒から22年間のサラリーマン生活を捨てて、花屋でコーヒー屋というちょっと変わったお店をオープンさせました。
元グラフィックデザイナーで、元写真家で、元サラリーマン。
有給休暇もボーナスも捨ててお店を持つというお話です。
これからお店を始めたい人には参考になりそうなのでまとめておきます。

1きっかけ編

○1-1 継続は楽ちんなり

僕はなんでも長続きするタイプ。

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小学校2年生で始めたスイミングスクールも顔に水をつける程度でもらえる12級から始まって1級になって結局選手コースまで行ってから辞めたし、同じ頃始めた習字も7級から始まって、初段から段の最高位の7段、そしてさらに4つ上、この流派の高校生までがもらえる一番上の段位「特選」まで行って辞めた。
その性格はずっと変わることなく、グラフィックデザインも30過ぎてグラフィックアートの国際的なコンテストで賞を貰うまでやったし、写真もいわゆる若手の登竜門っていうとこの賞をもらい、大きな会社から写真集を出版し、日本国内はもとより、韓国、オーストラリア、NYなんかで個展をやってから辞めた。


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お気づきだろうか…


僕はなんでも長続きする性格なんだけど、自分で決めたゴールが来たら何ためらいもなくキッパリとやめられてしまう性格、簡単にいうと「すぐ飽きられる」性格なのだ。
例えるなら、催眠術にかかった人が催眠術士の指示のもと何かに熱中したりしていても「ワン・ツー・スリー・ハイ!」で正気に戻って「今まで何をやってたんだ?」になってしまう。そんな感じ。

とはいえ、終わりの見えないものもあるわけで、それはどうなのかというと、小学校3年生から始めたスケートボード。当時の将来の夢はプロスケートボーダーだったけど自分には全く向いていなかったせいか全然上達せず。

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今はほとんど乗らないものの店には“念のため”ちゃんと置いてある。
10歳で始めて33年。全く乗っていないが(事実上)まだ続けているのである。
辞めるのが得意な僕が「辞めていない」というならそれは「辞めていない」のだ。



そしてサラリーマン。
続けるのが得意な僕は毎朝ちゃんと起きるのも得意。
社会に出てからたったの一度も遅刻したこともないという奇跡の真面目サラリーマンだったけど、収入はギリギリ生きていける程度。「それくらいしか働いてないんだから仕方ない。」と地道に生きてきた。

なのにいきなり、22年続けた“超低空 but 長距離安定”の「鳥人間コンテスト」の飛行機たちのような水面ギリギリ月収生活をサクッときれいさっぱり辞めてしまったのだ。

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これまでの習い事などは目標を達成して辞めたんだけど、僕の場合は専門学校の先生だったので、きっと校長先生が最高段位なのかな?まあ、とにかく先生に関しては最高段位を目指すことなく辞めてしまった。
そもそも専門学校の先生になったのは、「学校には暗室(フィルム写真をプリントする部屋)があるし、自分が知ってることを学生に話しながらお金もらって、土日や有給休暇を使ってどんどん作品作ってられるなんて最高じゃん!」という簡単な理由。
でもそんなことはずっと前の「目標を達成してやるぜ!期」の意気込み。実際その通り休日や平日の夜に暗室に篭って作品をプリントしたり、有給使って海外で個展開いたり、夏休みを利用して教室一個分の立体作品を作って教室から出せなくなったり、すごく利用させてもらいました。

「新社会人諸君!社会なんつうのは、使われるんじゃなくて使ってやるためにあるんだぜ!!」

というわけで、僕はとっくのとおに目標を達成して作品を作ることをキッパリとやめてしまっていたので、40歳を過ぎてからというもの僕の毎日は「先生として生きる日々」だけが残っている状態。
ミックスフライ定食のようにいろいろ乗ってて楽しかったかつての僕の人生は、週の大半をなんとなく働いて過ごし最低限の生活費を稼ぎ、週末はのんびり過ごすというなんとも刺激のないものになっていたわけ。

4月。特に何の感情のない笑顔で新入生を迎える入学式で始まり、お決まりのなんだかんだのトラブル(ドロップアウト、モンスターペアレンツ、留学生絡みのいろいろ、就職に関するごちゃごちゃ、生徒間、先生同士のごちゃごちゃ)などがあって、3月に学生たちが勝手に寂しがって去っていく卒業式。
そしてまた絶対にくる4月。

さあ、去年と同じカリキュラムで授業だ!!

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そして気づいてしまった。

「あれ?もうこの繰り返しで死んじゃうじゃん」と。
そしたら思ったら急に冷めてしまって22年間のサラリーマン生活に終止符を打ち辞めてしまったというわけ。
(実際はもっと細々といろいろあったけどね)


とはいえ、僕の頭の中では「脱サラおじさん=田舎で蕎麦屋」な感じは拭いきれず。

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<ここから妄想>
店名は「蕎麦処味咲(あじさい)」。
紆余曲折ありつつ、娘にも大反対されながら作った店。徐々にではあるがお客さんが通ってくれるようになり、繁盛まではいかないが楽しくやっています。
(エンディングの音楽がかかる)「もうすぐ娘夫婦がこっちに引っ越してきてくれて、店の近くで天然酵母のパン屋を始めるんですよ」。
店主の笑顔のアップ。CMへ。
<妄想終了>
だったわけで、「さあ、そういうのじゃないのやろう!」となった。そこでじゃあ、20代の頃からやりたかったことなんかあったっけな。となり、いろいろ考えた結果「花屋でコーヒー屋」をやることになったというわけ。


○1-2コーヒー屋で花屋をやるぞ。

たびたび「なんで花屋でコーヒー屋をやろうと思ったの?」とよく訊かれます。
僕はもともと花屋さんがやりたかった。
それも海外で見かけるような、屋台のような小さなカートに花を載せて対面で販売する花屋さんをやりたかった。
ではなんでコーヒー屋もやろうと思ったのか。

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理由は三つ。
日本では日常的に花を買う人ってあんまりいなくて、顧客ゼロからはじめるのに花屋単体だとあっという間に潰れてしまうと思ったからコーヒーも売ることにしたっていうのがひとつ目の理由。
もうひとつは、そんな日本人にとって非日常の存在である「花」をどうやったら日常に取り込んでもらえるかを考えて、多くの人にとって日常な存在である「コーヒー」をあわせることで、花屋に入るというハードルを取り除こうと思ったのが二つ目の理由。
三つ目は、確実にオシャレな店になるから。

そんな理由でコーヒー屋兼花屋となりました。
うちのお客さんからは「コーヒー屋さん」「花屋さん」「コーヒー屋で花屋さん」などと呼ばれています。


○1-3辞めてみたはいいけれど

ということで、「よし。やるぞ!」と意気込んで、さっさと職場に辞表出してはみたものの、その後、下記のように自分に「ない」ものがあることに気付きました。
せっかくなのでリストにしてご紹介。

「滝澤の”ない”10選」
・コーヒーの専門知識がない
・花の専門知識がない
・経営の経験がない
・接客業の経験がない
・飲食業の経験がない
・お金がない
・運転免許がない
・うまくいく自信がない
・ダメだった場合逃げ場がない
・そうなったら妻に一生頭が上がらない

以上。

社会や組織に守られてきまくったこともあり、自分では学校で教えていた専門技術以外になんにも持ってないことに素っ裸にされてから気付いてしまった。
しかも専門技術を持って専門学校で教えていたこともあって、専門技術と専門知識の重要性は人一倍知っている。

さて、どうしたもんか。

まずはコーヒーから。(楽しそうな順)
僕の場合には有名店が定期的に開催しているバリスタスクールに通いながら、空いた時間で都内の人気店を毎日最低でも4店舗を巡ることを決めていた。そして「外観」「内装」「コーヒー豆の種類」「提供までの時間」「店内で流れている音楽」「接客」など自分で決めた18項目と、なぜ人気があるのか、さらに改善できる箇所などを、小さなノートにスパイのように店内でこそこそと書き入れることを日課にした。
後でまとめ直す時間がもったいないのでその必要がないように最後にまとめるであろう形で記入するようにしていたのだが、このメモはすごく役に立った。(開店後行方不明になってしまったが…)
コーヒーはとにかく奥が深い。開店した現在も、一つ学ぶと二つ疑問が生まれる状態。


続いて花。

花は若い頃からずっと好きで、特に記念日でもなく、狙っている女性でもないのに、花をあげたりしていた。
だが花屋になるとなると話は別。絶対に必要な知識が山ほどある。
でも、実際はのところは「やってみるしかないでしょ!」くらいの意気込みで、1年間は毎日花のことを調べながらプロをやっていました。
でも、もともと美術系で、色彩感覚とか配置、バランスとかは自信あったので知識というより感覚でこなしてきた感じ。
とはいえ花の仕入れは絶対必要なわけで、まずは仕入れるための車を市場に登録しなきゃ…というかまずは免許取らなきゃってことで普通自動車免許の取得をめざしました。
時間もないし、試験に落ちている余裕なんかなかったので、必死に勉強していましたが、妻には「あの程度の試験に落ちるやつは○○だ」「落ちるのは油断だ」「いや、落ちるはずがない」などと煽られまくっていたこと、明らかに年下の教官と同世代の教官たちに優しく支えられて、教習所が最短と設定していたぴったり1ヶ月で取得することができた。ありがとう。教官、そして妻。

そして、物件探し。

合間合間でやっていた物件探しも、千駄ヶ谷、代々木上原、代々木八幡、池尻大橋、中目黒辺りの良さそうな物件を内覧しつつ今の物件に出会うことができた。

あ、これから初めて飲食を始めようと思ってる人に注意。

「保健所の検査をパスするために一時的に工事(何かをつける)が必要ですが、検査の後、再度ここを工事(つけたものを外す)し直さないと実際営業するときめちゃくちゃ不便です。」っていう謎の物件も多いから気をつけてほしい。
保健所の検査項目はいろいあって、やれ食器用の戸棚だの、従業員用の手洗い場だの、給湯設備だのと全てが揃っていないと営業許可が下りなんだけど、例え元々飲食の居抜き物件であったとしても「現状では検査通りません」っていうのがいくつもあって「検査合格用」と「元に戻す用」の2回の工事が必要になってしまう。
実際内見しないとわからないことも多いんだけど家の引っ越しの時の内見のように個別でっていうパターンよりも、指定された日に希望する人みんなでっていうパターンの方が多いから気をつけて。

そんなわけで、コーヒーの基本的な知識と技術を学び、花の仕入れに必要な運転免許を取得し、物件を決め、B.H.R COFFEE & FLOWERSを開店する準備が整いました。
ここまでで脱サラを思い立ってから半年。
なかなか濃密な時間。

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なーんて思っていられたのはあの頃はまだまだ青かったな。

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元グラフィックデザイナー、元写真家、元芸術家、元美術系専門学校講師。42歳で脱サラして花屋でコーヒー屋を始めたので、今はフローリストでバリスタです。