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パニプリ


4輪の荷車の上に乗せられた透明なケース。その中にはゴルフボールよりも少し大きいスナックがたくさん入っている。ケースの中のスナックは外はサクッとしていて中は空洞になっている。そして一箇所に親指が入るほどの穴が空いている。荷車の持ち主のお兄さんに「ひとつ頂戴」と頼むと、スナックを透明のケースから取り出し、親指が入るほどの穴にマッシュドポテト、豆、玉ねぎなどを入れたあとにスパイスやタマリンド、ミントなどで味付けした水を中に流し込んでくれる。今にも穴からこぼれ落ちそうなのを受け取ると慌てて口に運ぶ。サクッとした食感の後に口の中に流れ込んでくる酸っぱくて、辛くて味わい深い何かが広がってくる。口の中から溢れそうなものを閉じ込め、体の中に押し込む。
美味しさの余韻が広がり、すぐに次のを頼んでしまう。気が付いた時にはもう「パニ・プリ」に夢中になっている。

インドのあちこちの路上で見かけることができる「パニプリ屋さん」。「パニ」とは水のことで「プリ」とは小麦粉などを練って伸ばして揚げたパンのようなもののことである。大体がタマリンドチャツネ、チャートマサラ、玉ねぎなどを中に入れて提供しているが、グジャラート州ではムング(緑豆)などを入れたり、ベンガル地方ではスナックの生地を小麦の全粒粉で作ったりしている。インド全土で見かけることができるパニプリはもしかしたらインドで一番有名なストリートフードなのかもしれない。

私の知り合いのカナダ在住のインド人のおじさんは、年に一回ムンバイに帰ってきては一番最初にパニプリを食べに行くのが最大の楽しみだ。そして大体お腹を壊してしまいインド滞在中は寝込んでいる。

そこまでインド人を虜にするパニプリの歴史は遥か昔、紀元前まで遡るといわれている。当時のマガダ帝国、今のビハール州でパニプリは生まれたといわれている。パンチャル王国からマガダ王国のパンダヴァ王子の元に嫁いだドゥラパディ姫。王子の留守中に王子の母親のクンティ女王から残り物のポテトサブジとチャパティの生地で5人の息子たちの腹を満たせと命じられます。チャパティとは小麦の全粒粉を水でこねて薄く伸ばして焼く平たいパンのこと。渡されたチャパティの生地は1人前もありませんでした。そこでドゥラパディ姫は生地を小さくちぎり、それぞれを薄く伸ばして揚げて、膨らんだ空洞の中にポテトサブジをチャートマサラやタマリンド水で伸ばした濃い液体を流し込んで5人の王子たちのお腹を満たしたといわれています。

そのアイディアと機転の利き方に感銘を受けたクンティ女王はその料理をパニプリと名づけ大事に後世に伝えていったそうである。

インドで一番愛されているストリートフードの誕生秘話。多くの人が信じている話であるが有名なインドの食の研究家はパニプリが生まれたのはビハール州あたりで間違いはないが、歴史はせいぜい100年くらいだろうといっている。なぜなら唐辛子はポルトガル人から、ポテトはイギリス人から伝えられたといわれているのだから。

それでも、パニプリの歴史は紀元前からあると信じている人が多いのがパニプリがいかに愛されているかを物語っているのかもしれない。

4月8日はハッピーパニプリデイ

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