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ザビエルを連れてきた薩摩の男

昔、薩摩の人里から離れた山の麓に小柄な陽によく焼けた男が住んでいた。平家の茅葺き屋根の縁側には丸い壺みたいなものがずらりと並んでいて、男はたまに壺をそっと開けては柄杓のようなものでかき混ぜては満足そうな顔をしていた。ちょうど縁側が南を向いていたので日中は良く陽に当たっていた。男は別に何をするわけでもなく、自分が食べれる分の米や野菜などを育て、たまに裏山に仕掛けた罠にイノシシがかかるとそれを捌いては食べているようであった。


あの男はどこからやってきて、いつからそこに住んでいるのか。村人たちは不思議に思っており、謎は噂を呼び、不信感に変わっていった。村人が男に話しかけてみると流暢な薩摩言葉で話すので、どうやらこの辺のものであるらしい。名前を訪ねてみるとちょっと恥ずかしそうに「アンジロウ」と小声で言った。良く聞き取れなかった村人はもう一度訪ねてみると今度は大きな声で「ヤジロウ」と言ったように聞こえたので、それからその男は「ヤジロウ」と呼ばれるようになっていった。昔から住んでいる村の長老たちもヤジロウという名前は聞いたこともなく、薩摩言葉を喋る怪しいよそ者として村人たちの間で広まっていった。



そんなある夏の日、数人の村の若者たちがヤジロウを訪ねていった。好奇心旺盛な若者たちはある種の肝試しのような感覚で訪ねていったのであろう。ヤジロウは笑顔で青年たちを迎え入れ、もてなしてくれた。あまりにも親切にされるので若者たちは困惑してしまった。ちょうど昼頃なので何か食べるかと聞かれた若者たちは遠慮なくいただくことにしたそうである。ちょうど今から昼飯を食べようとしていたヤジロウは台所の釜戸からご飯を茶碗に盛り、もう一つ隣にあった鍋から柄杓のようなものでグツグツと煮えた汁をご飯にかけて若者たちに渡した。ツンとした酸っぱい匂いが若者たちの鼻をついた。訝しげにヤジロウをみると、「まあまあ食べてみろ。うまいから」と言う。鼻を摘むようにしてその汁を啜ってみると今度は舌に刺激的な痛みが走った。今度こそはもう食べられないとヤジロウを見ると「もう少し食べてみろ。うまいから」とヤジロウは手で仰いだ。若者たちは言われたようにもう一口その汁を啜ってみると今度は口の中に爽やかな香りが広がり、柔らかく煮込まれたイノシシ肉が滑り込んできた。若者たちのヤジロウを見る目が変わった。本当に言われた通り「うまい」のである。「うまい」と一人が小声で言うとヤジロウは満足そうに若者たちを見ていた。



それからと言うもの村の若い衆のあいだではヤジロウの猪汁は話題になり、暇を作ってはヤジロウの家に訪ねていったそうである。ヤジロウが話す、嘘か真かわからない異国の話も面白く、若者たちの関心を集めた。村の長老たちは得体の知らない男が作る腐ったような汁など飲めるかと、一口も飲むことはなかったそうである。



このヤジロウ。またの名をアンジロウと呼ばれ、若い頃人を殺し、捕まることを恐れ逃げたそうである。逃げた先がポルトガルの船でマルッカ諸島に辿り着きそこでフランシスコ・ザビエルと言う宣教師と出会い、自分の罪を懺悔し洗礼を受けキリスト教徒になった。ザビエルとともにインドのゴアにも赴きそこで先ほどのイノシシ汁、またの名を「ポークヴィンダルー」と出会ったのである。ザビエルとともに日本に戻ってきたヤジロウであったが、その後姿を消し、ゆっくりと余生を人里から離れたところで暮らしていたのである。インドのゴアで味わったポークヴィンダルーが忘れられず日本に帰ってきてからは焼酎などを酢に変え、イノシシ肉を持ち帰ってきたスパイスとネギやニンニクなどに漬け込みポークヴィンダルーならぬイノシシヴィンダルーを作っていたのである。

日本で最初のキリスト教徒とも言われている「ヤジロウ」の出生、本名、人生は謎が多い。



マルッカ諸島やインドのゴアに行ったのは史実に残っているそうなので、姿をくらませたと言われている日本に帰ってきてからの物語を妄想してみた。

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