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バックギャモン、その本当の起源と語源

 以下の文章は、Alexander Auer氏がFacebook上に発表した、バックギャモンの起源と語源に関する新説です。(英文はこちら)翻訳は上田英明氏が行ってくださいました。お二人の許可を得てここに掲載いたします。この魅力的な新説について、広く議論を呼び起こせれば幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私がバックギャモンの起源とその名前の語源についての研究結果を発表したのは約二年前のことです。今回発表する新しいバージョンではいくつかの発見を新たに追加しました。ぜひ楽しんで読んでいただきたいですし、皆様のフィードバックを歓迎します。  2021/2/12 - Alexander Auer

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バックギャモン--算盤のゲーム! 
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 「バックギャモン backgammon」という単語の語源について興味があって調べる場合、大抵はこのような説明を目にすることになるでしょう:

 「このゲームは英語圏で名付けられた。「後ろ」(behindもしくはback)という意味の "back" と、中世英語で「ゲーム」を意味する "gamen" を源とする "gammon" から組成された単語である。
この名前は、ヒットされたチェッカーが盤面の最後尾に再配置されたこと、もしくは決められたチェッカーの初期配置がない亜種ルールがかつて存在していたことから名付けられたとされている。その亜種ルールではまずダイスを振り、その目に応じてチェッカーを最後尾からゲーム内に配置しなければならない。」

 私は常々、この説明は非常につまらないものだと思っていた。このゲームの唯一の特徴でもないし、バックギャモンというゲームは非常に完成度が高いので、こんな些細な特徴がゲームの名前の由来になったはずもない。   そういうわけで私は調査を開始し、無数の出典を当たった。そして、今まで誰も議論してこなかったであろう、非常に面白い「繋がり」を発見したのだ。

 現在一般的に考えられている現代バックギャモンの成り立ちにおいては、古代エジプトのゲーム「セネト Senet」を発祥としローマの「ルダス・ドデシム・スクリプトルム Ludus Duodecim Scriptorum」(12本の線のゲーム)、ローマの「タブラ Tabula」を経由、その後現在のイギリスに当たる地域へ "tables" という名で伝来した、とされる。この説は皆が知るところであるが、しかしこの「セネト」と「バックギャモン」の関係性には大いに疑問が残るし、そしてそれも当然だろう。

 私は当初、そもそも人々が5000年前にどう計算や計数したのかに興味を抱いた。そしてこの導入が正しいと判明し、バックギャモンについて理解を深める鍵となった。

 我々が現在知っている十進法は当時は知られておらず、 "abstract arithmetic" ないし "Hindu-Arabic arithmetic" と呼ばれていた。当時人々は60を基数とする六十進法を使用していた。

 この進法は現在のイラクにあたる地域に住んでいるシュメール人により開発された。開発にあたり、宇宙の星の観測を基とした。シュメール人は7人の神を主に信仰していた。すなわち、太陽 Sun、月 Moon、木星 Jupiter、土星 Saturn、金星 Venus、水星 Mercury、そして火星 Marsである。ちなみに一週間が七日なのはこのためである。これらの惑星は肉眼でも見えたし、大きさと光度の点で恒星よりはっきりと目立った。              カレンダーを作るうえでシュメール人はまず2つの最も遅い神、土星と木星を並べた。これらの惑星は黄道を通過するのにそれぞれ30年および12年かかる。最小公倍数は60である!掛け合わせると360となるが、現在まで円が360°に分割されているのはこれが理由である。黄道を360°に分割するというのは、つまり木星は一年毎に30°、土星は12°ずつ動くということを意味する。太陽は一年で一回黄道を通過するので、木星はその1/12倍の速さとなるが、シュメール人が一年を12ヵ月に分割したのはこれが理由である。木星が一年で通過する距離を太陽は一か月で通過する。そして太陽は黄道を一か月に30°動く。シュメール人が一か月を30日に分割した理由である。太陽は一日ごとに1°動く。もちろんシュメール人は一年が365日であることを知っていたので、一年の終わりに祝祭日を作った。余談だが、これがエジプト人に採用され、宗教的な休日として今も祝われている。            シュメール人は、彼らの7人の神(太陽と月で2つ、そして5つの惑星)が人間の2本の手と5本の指を反映したものだという考え方に魅せられていた。また、60という素晴らしい数は非常に多くの約数を持つが、素数7だけは約数に持たないという事実にも魅せられていた。

さて、話をゲームに戻そう...

 この六十進法はメソポタミアで採用されていたが、日常生活においてはその「小さい妹」、すなわち12を基数とする十二進法で十分であった。十二進法においては、12を数えるために指が使われた。片手の4本の指に含まれる4×3=12個の節を12までのカウンターとして使い、親指は「ポインタ」として特定の節を指すために用いられた。

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 この計算システムは少なくとも紀元前2500年から、計算用に作られた「計算盤 calculating boards」と呼ばれる板の上で用いられた(机状のものさえあった)。そんな計算盤のうちの一つである"Salamisian board"は1846年にアテネの近郊で発見されており、紀元前500年頃まで使用されたと見られている。これらの計算盤には垂直な線が入っており、上に小さい石を置いてカウンターとして用いた。線それ自身には単位が記されていることが多かった。ローマの計算盤を用いると、例えば1,5,10,50,100,1000を表す6つの線上に置かれた石を反対側にも同様に配置することで、加算減算を簡単に行うことができる。

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 これらの計算盤は誰が使ったのだろう?ええ、それは統治者、商人、建築家、そして大抵は、教養があり数学の広範な知識を持つ人々だった。小石やコインを垂直線の上で動かすことで、四則演算のみならず、複雑な三角関数や平方根の計算すらも可能であった。実質的には、これらの計算盤はいわゆる「そろばん」の原理の上でうまく機能していた。

 紀元前450年頃、ギリシャの作家ヘロドトスが旅行記の中で驚きを持って述べた事実に私はすっかり魅せられてしまった。ギリシャ人は小石やコインを左から右へ動かすが、エジプト人は右から左へと動かすというのだ!   今となっては、ギリシャ人とエジプト人がどのようにして出会い、ボードを並べたのか、容易にイメージすることができる。あとは誰かがダイスを「ふざけて」置けばバックギャモンボードの完成だ!バックギャモンが元々12枚のチェッカーで遊ばれていたという事実は、(恐らく後の「12本の線のゲーム」のように、)六十進法、あるいは十二進法の存在によって、ほぼ必然のように思われる。「線上の計算 Calculation on lines」とはこの形式の算法のことだが、この呼称自体が、ローマ人が彼らのゲームを「12本の線のゲーム」と呼び、「12個のマスのゲーム」と呼ばなかった理由の説明になるかもしれない。

 これらの観察から、バックギャモンやその先祖はゲームとして発明されたのではなく、日常の必需品として進化してきた結果なのだと私は深く確信した。実際は数学のために進化したこの勘定盤は、言うなれば、楽しむために乱用された。また、この進化は無教養な人々によるものではなく、数学の高いレベルの知識を持った人々によるものである。そのため、バックギャモンは黎明期には非常に高い数学レベルで遊ばれていたが、その後確率のゲームへと「退化」し、一般の人々の間でも遊ばれるようになったのだと想像する。

 バックギャモンという単語の語源の話をする前に、まずこのゲームがどれだけ厳格に六十進法に従っているか、そして"abacus"の系統を引く可能性が極めて高いことについて、概説したい。                 六十進法は60という基数の上に成り、60は12と30の最小公倍数である。バックギャモンには30枚のチェッカーが使われ、ボード上には2×12個のマスがある。60の約数は1,2,3,4,5,6,10,12,15,20,30,60である。十二進法を採用した日常生活が数学的にとても魅力のあるシステムとなっているのは、この膨大な量の約数のおかげなのだ。バックギャモンの初期配置ではチェッカーは12の最初(1マス目)、真ん中(6マス目)、そして最後(12マス目)に置かれている。                                このゲームの原型では恐らく12枚のチェッカーで遊ばれていたはずなので、8マス目の3枚のチェッカーは後から加えられたのだろうと思う。恐らく「タブラ」では既にチェッカーは増やされており、その後3つのダイスでプレイされていたのだろう。ゲームを複雑にする試みは行われていたが、3つのダイスは厳格なゲームロジックにはそぐわず、恐らくそのせいで消失し、2つのダイスで遊ばれることになったのではないか。2つのダイスに書かれた数字は計12個なので、筋が通っている。石の個数を増やすというのがゲームをより複雑にするための解決策だったのだろう。そして「神聖な場所」1,6,12マス目に手を加えず、しかし24(=2×12)ピップを加えたければ、3つの石を8マス目に置けばよい。(訳注:ピップ=ゴールまでのマス数)   さらに、現在の15個の石はこのゲームに内在するロジックと完璧に適合することを今から示す。

・石はそれぞれ2,3,5個のグループにわけられる。これらは60の約数のうち素数である。
・15個の石を用いて遊ばれる。これは12の非自明な(訳注:1と12を除く)約数の総和となる!また、36通りのダイスロールのうち出目が重複している(訳注:出目16と61等)ロールの総数でもある!
・24マス×15個の石(一色あたり)=360は円の角度の数である。

 私が最も面白いと思ったのは、なぜ初期配置の総ピップ数が167なのかという問いだ。今まで誰も答えてはくれなかった。しかし、ここで60進法を考えれば突然論理的になる:4500年前、1は約数とは考えられてはいなかった。実際に数を「割って」いるわけではないからである。こう仮定すれば、60の約数の総和はちょうど167なのである!そして7(シュメール人の神の数)のように、この数は約数の総和にもかかわらず、それ自身は素数だ。
1を加えることで一週間の時間数(168時間)になる!
実際、バビロニア人でさえ一日を24時間に分割した。

 「バックギャモン」の語源を説明する時間がやってきた。このエッセイの初めの話題だ:

 「算盤 abacus」という単語は元々はギリシャ語を起源とし、"abax"と呼ばれていた。その後ローマで"abacus"へと発展したが、多くの人が連想するであろういわゆる「そろばん」ではなく、上で説明した計算盤や垂直線付きの蝋板を指す。中世英語においては"abacus"はあらゆる計算盤の総称だった。なぜなら、これら"abacus"は中世後期までは良く使われていて、"abstract written arithmetic"に取って代わられたのはその後だったからだ。

 「ゲーム」を示す単語"game"は、「楽しみ」を表すゲルマン祖語の"gamen"から来ていた。そして"gamen"は"game"へと進化したが、同時に"gammon"へも進化した。バックギャモンがその名を英語圏で獲得したことは合理的だ。しかしまだ全く議論されていないことがある。中世にフランスがイギリスを支配したことである。ノルマンディーからのフランス人、ウィリアム征服王は11世紀はイギリス全土の王だった。そして息子と他の親戚はこのフランス的な統治体制を何世紀も続けた。このことは非常に面白い。なぜなら、フランスでは算盤は"abaque"(A Bakのように発音する)と呼ばれるからだ。ラテン語の"abacus"の接尾辞の"-us"は既に無くなっていた。まさにこの接尾辞が消えることにより、非常に多くの単語が同化してきたことは知られている。また、およそ25%の英単語がフランス語由来であり、フランス語の影響は甚大であることも知られている。

 今、バックギャモンボードと中世の計算盤との視覚的な関係性は非常に明白で、リファレンスもかなりしっかりしている!そこで私は、バックギャモンというゲームはフランスがイギリスを支配している間にその名を獲得したと結論づけた。誰かはこの類似性に気づいていただろうし、彼、もしくは彼女はこのゲームを"abaque-gammon"(A Bak-Gammonと発音する)、すなわち算盤のゲームと呼んだに違いない。                  純粋な英語の用法の文脈においてさえも、"abacus-gammon"の"a back-gammon"への同化は、論理的に説明可能であろう。なぜなら私が述べた通り、ラテン語の接尾辞"-us"は日常の用途の中でしばしば消滅するものだからである。

 バックギャモンは他のゲーム由来ではない。また、カレンダーとして発展してきたものでもない。それは4500年前、人類史上初の計算機である計算盤として存在していた。それはシュメール人の数学の六十進法を表す。そしてこの数学は惑星、太陽、月の進行を反映している。

 私が特に面白いと感じたのは、元々は数学の用途のために設計された盤が長い時間をかけて確率のゲームへと「退化」してきたという発想であり、Paul Magrielなどの優秀な思想家のおかげで、かつての”abacus”、計算盤としての姿を再び露わにしたことである!

Alexander Auer, 2021

訳:上田英明@takadaleft

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