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似て非なるふたりの「テキトー」が開けた風穴。:デレステ『モラトリアム』

『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』(以下『デレステ』)のイベント『モラトリアム』が終了し、そのイベントコミュを読了したのでその感想などを記す。

今回のイベントユニットは双葉杏夢見りあむ『リアンコリック』
これまで営業コミュや『デレぽ』などでちょいちょい絡みがあって過去ミニライブの経験もある2人だが、ここに来てまさかの本格的ユニット始動となった。
コミュの最後までユニット名の由来は明かされなかったが、おそらく造語だと思われる。
「コリック」の部分は多分「メランコリック」から来ているのだろうが、「リアン」の部分がなんとも判断に困る。
SR[モラトリアム]双葉杏+を見るに、綴りは「Rian~」となっている。

「Rian」

フランス語で「絆」を意味する「リアン」が最もそれっぽいのだが、だったら綴りは「Lien」であり、同じくフランス語で「笑い、歓喜、幸せを感じる」を意味する方の「リアン」なら綴りは「Riant」だ。
タイ語で「学ぶ」を意味する言葉も「リアン」だが、さすがにそちらではないだろう。
だがどうやら調べていく内に「Lien」を「Rian」と書く方も広まりつつあるようなので、やはり「絆」+「メランコリック」ではなかろうか。

冒頭、海で撮影しているりあむの元を訪れる杏。
そのTシャツには「人生は一度きりエンジョイ勢」の文字が。
これはりあむが辻野あかり、砂塚あきらと組んでいるトリオユニット『#UNICUS』の代表曲である『UNIQU3 VOICES!!!』の歌詞の一節だ。
これには作詞・作曲(共同)のアオワイファイ氏もXで反応していた。

これは杏がりあむに会いに行くことを見越した上でセレクトして着て行ったものと見るべきか。
彼女のネタTシャツはほぼ自作なのだが、今回は出来合いのグッズなのか、それともそこのフレーズを気に入って自作したものなのだろうか。
うーん後者?

1コマ劇場より。

なにはともあれ、ユニット結成の流れへ。


今回のイベントコミュのキーワードだったのが「テキトー」ではないかと私は思う。
「テキトー」は「適当」の表記変えだが、本来の意味とは違って誤用されている言葉の代表格でもある。
「適当」とは「ある条件や目的や要求などに相応しいこと」が元々の意味だ。
それがいつの間にか「雑な」や「その場しのぎの」的な意味にすり替わってしまった。
りあむはプロデューサーに対し、「ユニットってけっこー大事なことだよね?なんでそんなテキトーなの?」と使い、杏はりあむを指して「杏と似たようなテキトー人間だし」と使った。
この2人の「テキトー」の使い方は決定的に異なる。
現代用法の「雑な」の意味でりあむは使い、本来の意味で杏は使用した。
こうしたズレが、一見同族にしか見えない2人に徐々に齟齬を生んでいくことになる。


サポートメンバーは久川凪、安部菜々、橘ありすの3人。
凪は主にりあむを担当し、菜々とありすは杏のそばにいた。
『モラトリアム』のイベントコミュはこれまで以上にメインアイドルにフォーカスしており、「サポート」メンバーといえど、その出番はピンポイント。
そしてアイドル活動よりはプライベート部分におけるメンタルケアをサポートしていた。

実はなんでもサラッとできてしまう杏は「居残りとか何回もやるのとかめんどくさいでしょ。そういうのはうまくやらなきゃ」と余裕のコメントを残す。
それに危機感を覚えたりあむは「やっぱり落ちこぼれのダメダメちゃんはぼくだけだったんだ……。せめて杏ちゃんの足を引っ張らないようにしないと……」と焦燥感を隠せない。
プロデューサーは「杏は要領がいいだけ」だと諭すも、視野が狭くなったりあむには馬耳東風。
そんなりあむを見て「りあむさんらしからぬ向上心を見せている。まずいですね」と零したのが凪だった。
字面だけを見ると凪が普段のりあむのダメさ加減を揶揄しているようにも取れてしまうが、その実「いつも通りの夢見りあむでいいのに」という本質を捉えていたさすがの慧眼。

菜々とありすはりあむをレッスンルームに置いて帰宅したと言う杏に目を丸くするも、杏は「りあむは変なとこで杏に気ぃ遣ってる感じ。杏のことを上に見てるっていうか、自分を下げてるっていうか。だから杏も触れない」と返され、一旦は黙ってしまう。

が、ありすは「壁を感じていることを理解しているなら、なおさら踏み込んでみてもいい。放っておくばっかりではやっていけないし、事態は悪化する一方では」と杏に提言する。
彼女のこの発言は、ありす自身が両親との関係でまさに経験してきたことが反映されているだけに説得力があった。
「しっかり『人』と『人』として向き合うべきだ」とまでずっと年下の少女に諭されてしまっては、面の皮が厚い杏といえど面目が立たなかったに違いない。
「声かけるか正直迷ってた。りあむは一応年上だし、自分で言うほどできないわけじゃない。ここで杏が引っ張っていくのは違うっていうか、これからもユニットが『そう』って固まっちゃったら嫌。本当は柔軟にやっていきたい」
杏のそんな本心を引き出せたのは紛れもなくありすの功績だった。

「わざわざ言葉にするのは恥ずくない?」
素直じゃない双葉杏はそれでもまだ渋る。
「言わなきゃ伝わらないことってたくさんあるから言葉にするのは大切ですよ」
人生経験豊富な(ゲフンゲフン)菜々からの言葉。
そこには純度100%の正解しかなく、さしもの杏も「めんどくさい。考えとく」と天邪鬼に振る舞うのが精一杯。
なんでもサラッとできてきてしまった杏には、2人の重い経験談はさぞや正論パンチとして堪えたことだろう。


「ふたりだけだと『できる方』と『できない方』って比較される。人間がふたりいたらそういう運命。ずっとお姉ちゃんに負けつづけてきたからわかってんだ」
りあむの面倒臭い所の最たる部分はこういう所だ。
相手をどんなに「尊い」だの何だの神格化していようと、やっぱり劣等感は感じるし消せないし日々肥大化する。
「人生は勝ち負けじゃない。特にユニットは」とプロデューサーがフォローするも、人間そういう時には「ウザい」としか感じないものだ。
「なんにもやりたくない~……でも迷惑かけて杏ちゃんに嫌われるのもやだ」と『デレぽ』に投稿するりあむ。
心情を外に出さずにはいられないのがまさに承認欲求モンスター
だがそれを見て当の杏がレッスンルームへと来てしまう。
「ぼくのダメさに付き合わせたくない!」とりあむが慌てるも時すでに遅し。
「……うん、だよねー。言うと思った」と苦笑する杏。
「でも見捨てられたくもない!あ、今ぼくのこと面倒だって思った?よね?それもぼくが一番わかってるよう!あーもーこういう会話もやだ~!」
勝手に自分でどんどん坂道を転がり落ち続けるりあむ。
面倒を通り越して厄介な年上の後輩アイドル
ありすと菜々に背中を押された杏はそんなりあむを自宅へと誘う。
諸星きらりではない夢見りあむを。

りあむの唯一の特技(?)を活かして餃子パーティー開催。
杏の現在の住まいは女子寮ではなく、高校進学時に「都内に住みたい」と両親に申し出た時に用意されたものだ。
対するりあむは実家でひとり暮らし。
同じひとり暮らしでも、経緯も実情も異なる。
こんな所にもふたりの似て非なる部分が。

りあむにとって餃子作りは現実逃避の手段であり、自己肯定感を上げるための大事な作業だ。
とことん自分を卑下するりあむだが、そんな彼女を「意外とデキる子だって思ってる」と評価していることを杏は告げる。
「なんだかんだで底力あるし、土壇場のパワーがすごいし、他のアイドルへのリスペクトはちゃんとあるし」
予想以上の高評価だ。
その場しのぎのべんちゃらでもリップサービスでもない本心。
双葉杏は夢見りあむをずっと以前から対等な存在として見ていた。
それだけに。
「杏を『尊い』とかなんか感じるっていうか合わない」
寂しさを覚えていた。
ありすの言葉を借りるなら、「せっかくふたり組のユニットなんだからしっかり『人』と『人』として向き合って」ほしかったのだ。

堰を切った杏は一気に畳み掛ける。
やる時はやる双葉杏の本領発揮。
「同じ面倒なことを全部ほっぽってどっかに行きたいけど、まー結局どこにも行けないダメ人間なんだよ」
「似たような杏たちは上とか下とか『尊い』とかなくってさ、テキトーにフラットに楽しいことやっていく仲がよくない?」
「ダメ人間だからこそ見える面白い世界もあると思う。そういうのをりあむを見られたらなーって」
それらの言葉たちはりあむの心の隙間をあっと言う間に埋めていった。
夢見りあむ、即堕ち。
「自分に期待してないからやまない」
そう言う杏。
その言葉が完全に本心なのかどうかは本人にしか分からないが、りあむには期待していた。
夢見りあむ相手にしかできない期待を。

双葉杏にとって諸星きらりが自分を引き上げてくれるオンリーワンの存在であるのなら、夢見りあむは同じ空気感を共有できるまたオンリーワンの存在となった。
「りあむといると、時間が無限に溶ける気がする」
「気が合うのってのもあるし、ふたりでダメ人間やった方が罪悪感がない」
あれだけそびえ立っていた壁はどこへやら、すっかり気を許した杏。

「リラックス」を検索するとコレが出てくる(嘘)。

諸星きらりとどっちが彼女にとって大切なのか、とかではない。
「上とか下とか『尊い』とか」なんてないのだ。
「それはそれ、これはこれ」である。
りあむは杏からの言葉に対して「特別じゃん。共犯じゃん」と返したが、同じ「共犯者」でも二宮飛鳥の言うそれとは随分とかけ離れたものだなあ、と。
うん。
みんな違ってみんないい!(テキトー)

そしていよいよフェス当日。
「ふたりとも変わった?なんか活き活きしてる」とふたりの間に何があったのか知らずに驚くプロデューサーに、りあむは「杏ちゃん細かいこと気にしないっぽいし、ぼくも気にしないことにした!それより今やりたいことをやるっ!」と宣言。
紆余曲折あるにはあったが大変だったのかそうでないのかよく分からないが、とにかく終わり良ければ全て良し。
「みんなぼくに優しいのなんで?」と訝しむりあむに「それはみんな気に入ってるからだよ」と杏が答える。
そうそう。
なーんか憎めないんだよなー、こいつってば。
プロデューサーが「ふたりでやってけそう?」と問う。
「それはまーテキトーに」と返すふたり。
なんやかんやあった挙げ句一致した「テキトー」。
最初は確かに杏が自虐したように「誰得ユニット」だったかもしれない『リアンコリック』。
いつしかそこはふたりの安住の地となっていた。
そしてファンにとってもすぐにきっとそうなる。


「『モラトリアム』の楽曲の方向性は、全てのダメさを許すような、ゆるい雰囲気」だと語ったプロデューサー。
「ふたりを見つめ直して思った。今回は無理させるんじゃなく自然体を歌うことでそれが聞く人見る人にとって癒しや許しになり、ひいてはそれがふたりの新しい魅力にも繋がるのかな」、と。
りあむ曰く「ダメ人間でオッケーソング」
これまでのシンデレラガールズの楽曲世界観に対する強烈なアンチテーゼ。

「足を止めるな」
「前へと歩き続けろ」
「変化を恐れるな」
「チャレンジし続けろ」
「常に高みを目指せ」

完全に逆方向。
ある意味全否定だ。
それが許されるのがこのふたり。
『リアンコリック』だからこそ開けられた風穴

前向きでポジティブでパワフルな部分のシンデレラガールズを好きだけど疲れていた、しんどく感じていた人たちを『リアンコリック』は全肯定した。
全部を受け入れなくてもいい。
そんな時があってもいい。
人間だもの。

なんとこういう懐の深さもあったか。
すっかりデレステに疲れてたユーザー諸氏、これからはゆるーく『リアンコリック』を推して楽しめばいいじゃない。
そう、テキトーにね。

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