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映画『プリティ・ウーマン』と日本の英語教育。

『プリティ・ウーマン』という映画をご存知だろうか?
1990年に公開されたハリウッド映画で、主演はリチャード・ギアとジュリア・ロバーツ、1990年度全米興行収入第1位となり、日本でも大ヒットした。
地上波TVでも何度も放映され、主題歌である『オー・プリティ・ウーマン』に耳馴染みのある方も多いことだろう。
かくいう私も映画館ではなくTVで吹き替え版を観た口である。

実は私はこの映画のタイトルにずっと疑問を持っていた。
ある時ふと思い立って調べてみたところ、原題も同じなのだという。
よくある謎の邦題ではなかったのだ。
そして私の疑問はますます深まる結果となった。

もったいぶっても仕方ないので一体どこが疑問だったのかというと、「プリティ」の部分だ。
私は中学の英語の授業で「プリティ=かわいい」だと習い、ずっとそうだと信じ続けてきた。
で、主演女優であるジュリア・ロバーツを見て欲しい。
確かにかわいい。
でも、「綺麗」とか「美人」の方がずっと相応しいと思いません?
映画の内容的にもそんな感じだし。
アメリカ人のセンスではこういうのが「かわいい」なんだろうか?日本人の感覚とはやっぱり全然違うんだなあ、と当時は無理矢理自分を納得させたものだった。

それから月日は流れに流れて昨年。
話は変わるが、私は『Duolingo』という無料の言語教育ウェブサイトで英語を毎日約30分間学んでいて、2023年11月15日現在で連続663日になる。
きっかけとしては、VTuberグループである『ホロライブ』のホロライブEnglish Myth所属であるがうる・ぐらさんにハマったからで、彼女の配信を翻訳なしで聴き取れるようになりたい、と思ったからだ。
現状その理想からは程遠い英語力しか身に付いていないのだが、それはこの際置いておく。置いておいてくださいお願いします。
ある日、そこで単語「pretty」が出題された。
私は何の疑問もなく「あーはいはい『pretty』ね、そんなん『かわいい』に決まっとるやん」と回答した。
が、結果は不正解。
当然「はあ!?なんでやねん!?」となる私。
弾かれたように正解を見ると、なんとそこには「綺麗」とある。
「いやいやいやいや!『綺麗』は『beautiful』やろ!?」とツッコんでもどうにもならず。
怒り心頭で調べてみると、あっちではどうやら「pretty」は美人に対して使われ、「かわいい」人に対しては「cute」
「pretty」はなんなら部屋が整理整頓された状態の「綺麗」にも使われている。
「プリティ長嶋」って「かわいい長嶋」じゃなくて「綺麗な長嶋」だったんだ……。

私は痛感した。
日本の義務教育の英語の授業や教科書は間違っていたのだと。
いや、「間違っていた」とまで言ってしまうとさすがに語弊があるとすれば、日本の義務教育の英語の授業や教科書は「世界では通用しない」
しばしばそういう話を耳にはしていたが、いざ実感してみると「これか!」と膝を叩くしかなかった。
ちゃんと彼らがそう指摘するだけの理由があったのだ。
もし私が「VTuberの配信を翻訳なしで楽しみたい」なんて思わなければ、なんなら一生疑問に思わないままだったかもしれない。
日本人の英語は海外ではどう思われているのだろうか。
怖くて調べられない。
「英語」ではなく「英会話」が必要とされる理由がよく分かった。

今回私が言いたかったのは日本の英語教育についてなのは間違いないが、その前に「疑問を持つこと」こそが大事なのだと声に大にして言いたい。
「VTuberの配信を翻訳なしで楽しみたい」の前にそもそも『プリティ・ウーマン』のタイトルに疑問を持っていなければ、このような開眼はなかったからだ。
ただ与えられるものを漫然と享受するだけではなく、本当にそれが全面的に正しいのかを考える習慣を身に付けておきたい。
あのお釈迦様だってこう仰ってる。
「疑って疑って疑い抜いてから初めて信じなさい」と(意訳)。
いやあ、お釈迦様ってあの時代からグローバルスタンダードだったんだなあ(ヨシ、綺麗にオチたな!)。

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