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BeReal being fake ahh shit

まだBeRealやってんの?

若者によるCore-Core風カルチャーの姿をとった、投影される承認欲求、虚構の監獄、特権意識と格差の拡大装置ことBeReal。
そもそもはInstagramやSnapchatにおける画像加工、あるいは切り取り・編集、都合のいい“偽物の”人間関係に対するアンチテーゼとして若者によって開発された海外発のアプリケーションである。毎日ランダムな時間に、写真撮影の“指令”がやってくる。通知から一定の時間内に撮影できれば報酬としてさらに数回の撮影チャンスが与えられる。加工や編集はなく、カメラの外側に逃げることもできない。内外のカメラを(名目上)同時に用いて撮影されるからだ。ファインダーはどちらか一方しかないが、撮られた写真には主体と客体が双方写る(はずだった)。こうした若干の皮肉を含んで加速するソーシャルメディアを批判する姿勢を持つのは、いわゆるwoke peopleではなく、むしろそうしたアピーリングな言動を冷笑するかのような、さらにwokeな若者(以後Z-woke)たちである。Z-wokeのカウンターパンチのアイデアは、一見成功であるかのように見える。フィルターやレトリックにまみれた既存のメディアを一掃し、真に清潔な人間関係を構築するソサエティを手に入れたかに見える。
見えるだけだ。



SNSに支配されていることに気づかなくてはならない。今までのようなわかりやすい支配ではなく、しかしよりtoxicに、競争的な承認欲求を加速しつつも同じタスクを与えられることで仲間意識をも刺激するという、巧妙に仕組まれた麻薬のような構造について、当事者意識を持たなければいけない。

  1. “虚飾が虚飾の形をしていない”
    BeRealというアプリケーションにおいて、以前までのような、明確で幼稚な虚飾は存在しない。彼らが持つのはより成長し複雑化した、純さを持たない虚構だ。フィルターのかからないノーマルなカメラであるということが、いわゆる美醜の格差、特権意識、あるいは自責を拡大し、またあたかも自意識が希薄であるかのような言い訳を与える。現実にはこうした機会にかこつけて気取らないクールさを見せつけているのに。行為自体が虚飾の塊。
    「自撮りがあがるのは仕様だから」

  2. “戦場化するメディアサービス”
    中央からの指令によって、一斉に携帯を見つめ、フラッシュを焚く若者たち。なんとグロテスクな光景なのだろう。管理され、支配されきっているというのに誰も危機感を抱くことはない。彼らユーザーは携帯電話に対して矮小なエンターテインメントツール程度の認識しか持ち合わせていない。その過小評価が逆に依存を強める結果をもたらしているのだ。スマートフォンそれ自体が強大な力を持ち、すぐに目を離せなくなってしまったり、どんなに近所であっても手放して行動できなくなってしまう、偉大で恐ろしい存在だとわかっておいた方がいい。でなければ、コンピュータからの指令とコンピュータからの報酬で脳が占有されきり、驚異の力である思考能力さえいつか失う。SNSは運営者の利益があって成立するのであって僕たちのために存在するのではない。いつまでも彼らの史上争いに巻き込まれて指示に頷き続けていてはいけない。戦場の歯車となった兵士のように、意思を失い、浅いイデオロギーに呑み込まれてはいけない。

  3. スノッブさとバリュー喪失”
    確かに。BeRealはこの上なく流行中である。そしてその流行はすでに臨界点に達し、今まであらゆるカルチャーが辿ってきた道を転がりゆくことになるだろう。どうして?メディアが紹介し始めたからだ。テレビで紹介されたサブカルチャーは滅びると相場が決まっている。もはやメインストリームであるかに見えたものがたくさん消えていった。大衆化とエンゲージメントの増加は、マジョリティに引っ張られて芯がブレることと直結している。そもそもBeRealの流行自体、撮影のプロセスを画面録画してInstagramやTikTokに掲載するという本末転倒な過程を経てのものであったが、あまりにも大衆化し、必ずしも既存のSNSに違和感を覚えていないのに利用するユーザーも増えたことで、運営者もほのやかに方針の舵を切り、BTS(Behind The Scene)機能を実装。流行りの音楽に合わせて撮影風景を共有するという非常にしょうもないブームが生まれた。当初のバリューは喪失し、ストリームに呑み込まれたのだ。

  4. “匿名性批判への疑問”
    そもそも、昨今の日本であたかも絶対正義であるかのように語られる実名至上主義こそ、一考の余地ありと言えるのではないか。匿名性は確かに態度の増長や議論の激化を招き、コミュニティによっては事件や対立につながる弊害がある。被害も出ているし、全面的に正しいとは口が裂けても言えない。ただ、現実世界のキャラクターとネット上のペルソナを結びつけ、不可分で一定のものにするのは、なんの効果もなく、むしろコミュニティの固定化、矮小化を招く行為で、考えとして底が浅すぎる。なぜ既存の所属をインターネットに再現したがるのか。

いずれ消えていくとは思う。あるいは受け継がれるだけかもしれない。どちらにしろ、今の若者たちはいつかBeRealから“卒業”するだろう。
(40歳になってもBeRealやるか?普通)
成熟が訪れるだろう。早いか遅いかの問題に過ぎない。でもファッションに飛びつくのではなく、芯を持って生きてほしい。


めざめなくてもいい。気付いたつもりになって安いブームに乗っかるなら平穏無事に美しい世界の中で眠っているほうがいい

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