『僕は可憐な少女にはなれない』を通して見つめ直すはるまきごはん作品 ~『ハンドメイドギンガ』東京公演の感想・考察を交えて~
はじめに
皆さん初めまして、そうじゃ無い方は2ヶ月ぶり。
B,F(@BigBigfriend333)と申します。
普段はボカロリスナーとして全曲チェックをしたり、曲紹介配信をしたり、ボカクラでDJをしたり、曲レビュー記事を執筆したりと、ありがたいことに色々と活動をさせて頂いている者です。
さて……。
はるまきごはんさん、10周年おめでとうございます!!!
いやぁ、10周年ですよ10周年!あまりにも目出度い。そしてそんな節目にはるまきごはん(@harumaki_gohan)さんが投稿したのがこちら。
そう、2024/02/07投稿の『僕は可憐な少女にはなれない』です。
これはもう本当に大事件でした、はるまきごはんは少女になりたかったんです。公式から「僕はこういう気持ちで作品を作ってきました」がお出しされたことによって、今までの作品すべての解釈がひっくり返りました。
また同年02/11には、はるまきごはん 10th Anniversary ワンマンライブ『ハンドメイドギンガ』東京公演がありました。氏の軌跡を丁寧に辿り、次の10年に向けて歩み出すような、素晴らしいライブでした。
初現地やれて良かった、チケット当選したので12/08の『ハンドメイドギンガ Finale』も楽しみにしています。
ということでこのnoteは『僕は可憐な少女にはなれない』で描かれた、少女である ”あなた” と、少女になりたかった ”はるまきごはん” という文脈で過去作品を再解釈しよう!という内容のものになっています。
私の解釈を多分に含んでいるので、そのことをご了承の上でお読みください。
はるまきごはんの描く世界
さて、まずは始まりの曲に触れなければ話は始まりません。それが2014/02/07にニコニコ動画に投稿された『WiteNoise』です。
本作は氏の誕生日、つまり17歳から18歳になったその日に投稿された作品となります。エモッ。
それでは本作の歌詞からキーワードを拾っていきましょう、歌詞全体をご覧ください。
抜き出せるキーワードとしては『少女』と『大人』、『夏』と『冬』です。これらは後のはるまきごはん作品でも中心に据えられているフレーズですね。本作は処女作ということもあってか、その後の作品作りの基礎となる歌詞作りがされている気がします。
さて、これらのフレーズを深堀りしていきましょう。概要欄を考慮すると、”子供=過去=夏” という図式と、”大人=未来=冬” という図式が浮かび上がってきます。これは多くのはるまきごはん作品で、とりわけ『ふたりの』シリーズで顕著に表現されていますね。そして ”少女” はそのどちらの季節にも属していない、つまり子供から大人へと成長するその間に位置していると考えられます。季節で考えたら秋ですかね。もう過去の思い出となった子供でもないけれど、未来の自分でもある大人たちのことも理解できない。所謂、思春期に当たる年齢を想定していそうです。
はるまきごはん作品の多くは、この思春期を生きる少女を主人公として置いて物語が描かれています。少し話は逸れますが、より深く理解するためにも思春期の定義を確認しておきましょう。
要するに、子供から大人へと身体的・精神的に成長する過程で様々な課題に対面し、その狭間で葛藤していく時期として考えて良いでしょう。本作もまさにこの部分にフォーカスして描かれていることが分かりますね。当時思春期の終わりに差し掛かったはるまきごはんさんだからこそ、鮮烈な感情を伴って表現された作品だと感じられます。
ここまではニュートラルな視点で読み解いた解釈です。ここからは例の文脈を通して読み解いていきましょう。本作で描かれている『少女』は恐らく、はるまきごはんさんご本人であると考えられます。つまり ”少女になろうとしたはるまきごはん” ですね。子供時代の、脳裏に焼き付いた忘れがたい思い出と誰かの笑顔。未来への、引いては大人になることへの拒絶。それらを少女というアバターを纏うことで客観視した、そのように解釈できます。
続いて、2014/04/06投稿の2作目『アメハヤマズ』を見ていきましょう。
この作品以降、語り手が三人称視点から一人称視点へと変わります。そして、もうひとりの誰かが登場します。歌詞をご覧ください。
今回もキーワードを抜き出してみましょう。『雨』と『晴れ』、『赤信号』と『青信号』、そして『わたし』と『君』です。特に色に関しては、はるまきごはん作品では重要なキーワードとして歌詞に織り込まれていることが多いですね。
この曲も先ほどの例に漏れず、各ワードが対比するものとして描かれていますね。”雨” ”わたし” のグループと、”晴れ” ”君”のグループです。これはそのまま、”現在” と ”過去” に置き換えることができます。暗雲立ち込め、先の見えない現在。一方からりと晴れた明るい過去と思い出の中の ”君” 。
また作中で登場する信号に関して、これらの関係式から外れた描写をされています、即ち ”わたし” の未来の暗示です。
本作では ”わたし” の未来に関して2つの可能性を示しており、端的に言えば生きるか死ぬか、その2つの道を前にして信号に足止めをされているのです。もしも未来があるとしたら(生きるとしたら)、”君” を忘れて未来へ進まなければならない。もしも未来がないなら(死ぬとしたら)、”君” と思い出の世界にいけるのに。そんな屈折した思いを抱えながら、どちらも選べず雨に打たれ現在で足踏みをしている、そんな ”わたし” の姿が描かれています。
はるまきごはんの描く世界において、君やあなたという存在はあたたかな過去や子供時代を象徴する存在として描かれることが多いです。それこそはるまきごはん作品初の長編シリーズ『ふたりの』において、主人公のナナとリリは互いに思い出の中の ”あなた” を縁とし生き、”あなた” に縛られ前に進めなくなった存在として描かれています。
そう、それは同時にもう二度と戻れないものでもあります。手が届かないからこそ手を伸ばし、足を踏み外すものなのです。
ここで例の文脈を通して見ていきましょう。はるまきごはんは生物学的に成人した男性であり、物理的な存在として少女にはなれません。はるまきごはんにとって、少女とは焦がれて手を伸ばさざるを得ない、届かぬ眩い星なのです。それでもと手を伸ばす、とても残酷で、美しい物語ですね。
『胡蝶の夢』とはるまきごはん
ところで、はるまきごはん作品では『コバルトメモリーズ』以降、MVに頻繁に蝶が登場しています。
蝶という生き物は古来より、人間の生と死、そして復活のシンボルとして愛されてきました。また蝶には死者の魂が宿ると考えられており、仏教ではその魂を極楽浄土へ運ぶ神聖な生き物として扱われていました。
はるまきごはん作品では、度々登場人物たちの死が描かれます。彼女らの魂を、羽ばたく蝶の描写に託しているという風にも考えられますね。
それと同時に羽化する蝶を、未来へ歩みを進めるものとして描くこともあります。まるで幼い夢から覚めたかのように。
さてこの蝶を、少女である ”あなた” と、少女になりたかった ”はるまきごはん” という文脈を通すと、また見え方が変わります。皆さんは『胡蝶の夢』という説話をご存じでしょうか。
はるまきごはん作品では、”夢” というものが物語に深く関わってきます。『ドリームレス・ドリームス』と『メルティランド・ナイトメア』が分かりやすいですね。
空が飛べるのも、凄い魔法が出せるのも「全部夢の中限定品」で、正常なグッドモーニングも、人生のハッピーエンディングも「何ひとつ叶わない」現実。起きたら忘れる泡沫の夢、分かっている。でもせめて夢の中だけは幼気で純粋な少女でいられのならば……。
そんなささやかな祈りを込めて、 ”わたし” を描く。焦がれた ”あなた” と ”わたし” の境界が曖昧になる、そんな物語を。
『ハンドメイドギンガ』から考える今までの10年とこれからの10年
さて、改めてはるまきごはん10周年ライブ『ハンドメイドギンガ』を振り返りましょう。02/11に開催された東京公演のセトリをご覧ください。
いやぁ、今までの軌跡を丁寧に振り返るような素晴らしいセトリですね。『ふたりの』シリーズなんて全部初出しのアコースティックアレンジですよ。『結論』が転換曲として使われていたのも良かった。
そしてはるまきごはんライブと言えば、書下ろしアニメーションです。今回はライブで紡がれる物語も完全書下ろし、豪華~~~!
今回の主人公はエテル・シアナという少女、はるまきごはんさんが最初に生み出した少女が10周年の舞台に立ったんです。『僕は可憐な少女にはなれない』で描かれていたもの彼女でしたね。
ずっと少女に憧れていたはるまきごはん、氏の理想とする少女の原型が遂に、我々の目の前に降臨しました。
……もう皆さんお分かりですよね?
彼女ははるまきごはんです。
今回のライブは、彼の10年という軌跡を辿るもの。そして書下ろしアニメーションでは度々「元の車両には戻れない」と告げられます。
それはそのまま、彼がもう子供時代には、過去には戻れないことを表しています。だからこそ最初に生み出した彼女に、ひいてはあの日の自分に、その軌跡を辿って欲しかったんだと思います。そして出会って欲しかったんだと思います。24号車にいる、2024年の自分に。
過去にはどうやったって戻れません、大人になんてなりたくなかったかもしれません。でも、それでも走り続けたからここにいるんだと。10年前の自分に、あの日町から逃げ出した自分に、少女になれなかった自分に。自分が描いた銀河を見て欲しかったんだと、そう感じました。
そしてこれから先の人生を、次の10年を生きる自分に伝えたかったんじゃないでしょうか。
おわりに
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!想定より随分と長いnoteになってしまった……。
『銀河録』で出会ってから8年程、こんなに長いことはるまきごはん作品を追い続けることになるとは思ってもいませんでした。
そして4年後に『ふたりの』シリーズに狂いに狂わされて、長文noteを書くことになるとも。
余談ですが、『ハンドメイドギンガ』東京公演前日に私はニコニコ動画に投稿された、はるまきごはん作品計46曲を投稿順に全て聴く配信をしました。年月によってグラデーションのように変化していく音楽と、一貫して描かれ続けるテーマを織り込んだ歌詞が、あまりにも美しくて。そしてそれらをライブという形で全身に浴びることになるのがもの凄く怖くて。3時間もの間ずっとべらべらと喋り続けていました。
そしていざ、ライブを観た私が思ったのは、書かねばということでした。
この時抱いた思いを、受け取ったものを言葉にしなければ。私が見たものを形にして残さなければ。そう思ったのです。
遅くはなりましたが、こうして書き上げることができて本当に良かったです。12/08の『ハンドメイドギンガ Finale』で変化があるのか、2024年のはるまきごはんさんはどんな物語を紡いでくれるのか、今から楽しみで仕方がありません。
是非とも、読者の皆さんと一緒にこの1年を見守っていけたら嬉しいです。
そして最後に、ただのファンである私からあなたへ。
あなたは確かに少女でした。
2024/03/28 追記
ライブ当日に使用された書下ろしアニメーションが動画として投稿されました。
改めて観てみると、各曲のキャラクターが登場する車両番号がその曲の投稿年になっていたのに気づきました。
あの日から10年後の24号車が終着点だったんだから、そりゃそうか。と思いつつ、こういった細かな演出にオタクはニッコニコになっちゃうんですよね。
12/08の『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』に向けて、今回ライブに参加できなかった皆さんも、ライブに参加した皆さんも、予習・復習をしましょう!!!
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