生涯未婚率と血縁によらない大家族

日本の生涯未婚率が上昇している。2020年の国勢調査の結果から50歳で未婚の割合は、男性28%、女性17.8%、男性は4人に1人以上、女性は6人に1人以上が未婚のまま生涯を終えると言われている。かくいうわたしもその一員になった。

1970年では、男性1.7%、女性3.3%だった。わたしの両親も、ごく平凡な大した人物でないにもかかわらず結婚していたので、幼心に結婚は誰でもできる自然現象だと思っていた。ところが、昭和から平成、令和となるにつれ結婚のハードルが高くなり、男はお金を稼いでいなければ結婚できない。身長や顔立ちが整っていなくてはならない。女は若くて美人でなければならない。お互いの要求がどんどんエスカレートしていった感じがある。

思うに、うちの親の代のころは見合い結婚のほうが多く、何もわけが分からないまま結婚する、させられるという感じだった。昭和から平成になり、見合い結婚が減り、いわゆる恋愛結婚オンリーの時代になった。仲人という言葉が死語となった。皮肉なのは、恋愛結婚になってから、離婚件数が増加し、子どもの出生が減り少子化の社会となった。そして生涯未婚率も上昇した。

そのメカニズムは不明だが、一般に、真に恋愛ができる「恋愛強者」はそれぞれの性の3割程度であると言われていて、残りは恋愛に興味がなかったり、恋愛の仕方が分からない人たちと言われている。恋愛結婚において、自然と恋愛というプロセスを経て本当に好きな人と結婚しているのは3割ほどであり、残りは、見合いという制度がなくなる中で、混乱しながら結婚しているのではないか? 一見恋愛のように見えるが実はそれほど惹かれていないカップルが結婚するので離婚や出生も減るのでは? だから婚活というビッグビジネスが生まれ、結婚相談所が流行るのではないか? とわたしは推察する。

わたしは、「恋愛強者」でないことに加え、24歳から42歳まで精神科に通い精神薬を飲んでいたことが大きかったのではないかと思う。わたしはカミングアウトしてなかったので、精神疾患差別ではなく、薬で頭がボーッとしていたり、感情の起伏が激しかったり、判断がおかしかったり、性欲が抑えられていたことが大きいと思う。もしこの時に、仮に精神障害があったとしても薬さえ飲んでいなかったら、もっと良かったかもしれない。わたしが薬を飲んでからやめるプロセスは「精神薬やめたら病気が治った」というAmazonでも買える本にまとめてあるのと、「正直に無理なく生きよう!お金がなくても大丈夫」というアメーバブログの過去記事で読めるので興味がある人は読んでいただけたらと思う。

一方、当たり前と言えば当たり前だが、結婚しなければ子どもが作れないし、子どもがいないと家族が続いていかない。社会は結婚して家族があり子どもがいるというのが標準になっているので、そうではない人は社会の輪に入っていけず孤立してしまう。特技や趣味や友達が多い人はいいがそうではない人は、本当大変だと思う。子どもがいないと半人前という価値観もあるし、子どもがある家庭が子育てに翻弄されている中で、時間を持て余し申し訳ない感もある。

その一方、望まぬ妊娠から中絶する人も多く、結婚して子どもを産んでも離婚し、一人で育てているシングルマザーも多い。晩婚化と多くの化学物質や医薬品が原因だろうが、結婚しても子どもができず高額な費用をかけて不妊治療をしている人や、子どもを大学卒業させるのが当たり前の時代になり、子育て費用が高騰しているので子どもを持つのをあきらめる夫婦もいる。親が育てられない子どもは児童相談所を介して児童養護施設に送られる。

思うに、子どもを持つということが自然な形から不自然な形になっている気がする。育てられない子どもを子どもができない夫婦が契約を結んで親子になるという特別養子縁組という制度があるが利用・実績は極めて少ない。家族というものは、本当に血が繋がってないと成り立たないのか? 縄文時代や江戸時代など昔はもっとおおらかだったのではないか? ちなみに現在の一夫一婦制という結婚制度は明治以降に確立された。

結婚できない人、子どもがいない夫婦、子育てができない人、捨てられた子ども、障がいを持っている人、そういう人たちが助け合いながら暮らせるところがあったらいい。みんなで住めば、お金が少なくても済むし、寂しさだってまぎれる。過疎地ならほぼ無料で、農業をすれば餓えて死ぬこともない。血縁によらない大家族を創る計画を進めています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?