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お母さんとお揃い

まだ暑い盛りの8月夕方、駅からの帰り道だった。ジリジリとしつこい西日を右半身に浴びながら街道沿いの歩道をテレテレ歩いていると、前方に3人の親子連れ。
お母さんと、幼稚園くらいの女の子、よちよち歩きの男の子。お母さんは男の子の手を引き、女の子はそのすぐ後ろを歩いている。
と、女の子が急に振り返ってしゃがみこみ、何かを拾うとパクッと口にくわえた。あっと思わず声が出そうになった。すぐにお母さんが振り返ったけれど、一瞬遅くてもう女の子は何食わぬ顔で立ち上がっている。何が起こったか、きっとお母さんは全く気づいていない。
声をかけようかなと迷ったけれど、止めた。娘が赤ちゃんの頃、よくスリッパの裏や網戸をベロベロなめていたのを思い出したから。それでお腹壊して大騒ぎ!なんて記憶はひとつもない。
のんびりとお母さんはソフトクリームをなめながら歩いている。男の子の小さな手にもアイスが。3人ともそれぞれ思い思いのアイスを食べながら歩いているみたい。
たぶん女の子が拾ったのはアイスの棒だったのだろう。もうほとんど残っていなかったんじゃないか。それでも惜しくて、落としてしまったアイスの棒を女の子は拾い上げてしゃぶっている。
信号で止まった時、お母さんが自分のソフトクリームを女の子の前に差し出した。女の子は首を横に振る。ソフトクリームはお気に召さない?あるいはお母さんに遠慮したのか。
女の子が着ているのは、白と濃紺の太いギンガムチェックのワンピース。ストンとしたシンプルなデザイン。小さな子はゴテゴテした服より、こういうシンプルな服の方がよっぽど似合う。
髪型だってそう。あれこれ付けたり、巻いたりするより、ただ切りそろえただけのおかっぱみたいな髪型の方が、子どもの愛らしさを上手に引き出してくれる。
あら?お母さんのスカートも同じ濃紺のギンガムチェックじゃないの!そうか、きっとどちらもお母さんの手作りなんだ。親子でおそろいか、いいな~。
私も彼女と同じくらいの頃、母におそろいのワンピースを作ってもらったことがある。白地にシャインマスカットみたいな大きな黄緑色の水玉模様(当時はブドウといったらデラウエアくらいしかなかったけど)。ウエストで切り替えのあるタイプ。私のは裾が広がっていたな。母のはたしかタイトだった。
おそろいのワンピースを着て母と一緒にお出かけする。たったそれだけのことが、思いっきりスキップしたくなるほど嬉しくてたまらなかった。その時の何ものにも代えがたいワクワク感を今も鮮やかに思い出せる。
冬でも水玉のワンピースを着たいと言って母を困らせたりした。なんであんなに嬉しくてたまらなかったのだろう。思い出すたび不思議な気持ちになる。
たぶん父とのおそろいだったら、あそこまで嬉しくなかったろう。父親は母親に比べたらどこかよそよそしい存在。第三者に近い。
子どもにとって母親は何にも代えがたい特別な存在なんだなとつくづく思ってしまう。ずっと昔、へその緒でしっかり繋がっていた記憶が体のどこかに染みついているのか。
母が自分の体の一部のような感覚すらあった気がする。それほど母と自分は切っても切り離せない存在。母と一体化したいというのが子どもが無意識に抱く究極の願いなのかも。
あるいは母とは子どもにとっての理想像で、母のような大人になりたい(母になりたい)と子は願いながら成長していくのだろうか。
子が母の不完全さに気づくのと、母が子に期待しなくなるのと、どちらが先なのだろう。いつしか母は自分とは完全に別人格の、どちらかというとうっとおしい存在へと急速に姿を変えていく。もうほとんど意識にのぼることすらなくなっていくけれど、どんなに年を取っても、母が子のアイデンティティの大部分を占めていることには変わりないのだけれど。
月日は流れ、何をおいても子の身を一心に案じ、大切にしていた母は、今ではもう自分のことで精いっぱい。
実家へ行けば、湯を沸かし、茶を入れ、ご飯を作り、後片付けをするのは私。その間母はテーブルの前でただ座っているだけ。話すことも自分のことばかり。
それが自然の流れと言われれば、そうなのかもしれない。別に母に何かをしてほしいわけではないし…
母が老いてしまったこと、これからも老い続けていくことがたまらなく寂しいだけ。
「脇腹が痛い」
と何日か続けて言われた時は頭が真っ白になった。何か悪い病気かもしれない、いよいよ母は死んでしまうかもしれない、心に暗い闇のような不安が広がる。
幸い数日で痛みはすっかり消えてしまった。でもいつの日か私は母の死に際を見届けなくてはいけない。他に誰もいないのだからどうしようもない。いつそういう日が来ても慌てたり、卒倒したりしないよう、今から覚悟を決めておかなくては。
和やかな親子の風景から、なんでこんな話になっちゃったんだろう…
 

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