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洗濯機の話 その1

梨木果歩さんのエッセイを読んだ。同年代のせいか共感する箇所がとても多い。物に対して手間ひまをかけたぶんだけ愛着が湧くというくだりを読んで、結婚して間もない頃の出来事を思い出した。

まだ娘が幼稚園にも通っていない頃。ある朝突然洗濯機が動かなくなった。夫があちこちいじってみたものの、洗濯機は直立不動のままうんともすんとも言わない。その日はあいにく日曜。サービスセンターはお休みで修理依頼もできない。近くにコインランドリーはあるが、幼い娘の衣類を不特定多数の人が使うコインランドリーで洗うのはちょっと抵抗があった。

「うわーん、困ったあ~」と頭を抱えている私の横で夫が一言。「なんで?手で洗えばいいんじゃん?」「へ?」手で洗う?なるほど。全くその通り。っていうか、なんでそんな当たり前の事、私思いつかなかったの?

ひと昔前まではみんな洗濯物を手で洗っていたのに。私の母も冬の寒い日だろうとカンカン照りの夏の日だろうと、タライをおもてに出して、洗濯板とバターみたいに巨大な固形石鹼を使ってごしごし家族全員分の洗濯物を洗っていた。便利な生活にあぐらをかいていた私の頭の中では「洗濯物」=「洗濯機で洗う」以外の選択肢がいつの間にかきれいさっぱり消滅していたということ!驚きを通り越して自分がソラ恐ろしくなった。

それじゃあと早速風呂場にベビーバスを運び込む。洗剤と残り湯を入れたら、一枚ずつ服の汚れを確認しながら両手でもみもみして洗う。シャツの襟裏には掃除用の歯ブラシ。泥汚れが何重にも沁みついている娘のズボンのお尻は、特に念入りに何度も石鹸をこすりつけてはすすぐを繰り返す。靴下の裏のよごれもしかり。踵や爪先を丁寧に洗うと、予想以上に汚れが落ちて気分がいい。

一枚一枚手に取って時間をかけて洗っていくうち、だんだんと胸の中になんとも言えないいとおしさが込み上げてきた。足の裏がスケスケになってゴムがだらしなく伸びた靴下には「よく頑張ったね。今までありがとう」と思わず頭を下げたくなるような。新鮮な気持ちだった。

目覚ましい技術の進歩のおかげで、掃除も洗濯も料理も育児も昔に比べたら格段にラクになった。家事と育児から女性を解放してくれた。それは画期的な発明である事に疑いの余地はないけれど、そのぶん物とじっくり向き合う機会は減ってしまったのかもしれない。よく効く薬に副作用が付きものなように、どんなことにも表と裏があるんだと思う。

因みに洗濯機は壊れてなどいなかった。よく見たら配電盤の中の洗濯機のブレーカーが下りていた!掃除の時にハタキでひっかけたのかもしれない。もちろん、翌日からは毎日洗濯機を使っている。人はラクな方へと流れてしまう弱い生き物。それは誰にも止められない仕方のないことだと思う。ラクな生活と引き換えに、せめてその裏で喪っているものがあるということを忘れないでいたいなと思う。

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