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人生は美しい

『ライフ・イズ・ビューティフル』を観た。録画してみたものの若い頃に映画館で観てガッカリした記憶があったから、観ないまま消そうかと思っていた。念のため…と思って観たら案外おもしろい!?結局最後まで観てしまった。

昔この映画を好きになれなかったのはたぶん主人公グイドのせい。ちっともハンサムじゃないしナヨナヨしてて格好悪い。その上ベラベラと口ばかり達者で夢想ともつかぬバカげた話をまくし立て周囲を煙に巻く。若い頃の私には嘘つきでおちゃらけた変なヤツにしか見えなかったのかも。

今観るとグイドの夢物語が嫌ではない。長い人生の中にはどんなに辛く受け入れがたい現実ではあっても、受け入れざるをえない時が程度の差こそあれ誰にでも一度や二度は訪れるはず。そういう時に現実にどっぷり浸かって運命を呪ったり嘆き悲しむ代わりに、空想の力を借りて現実を飛び越える。

それは現実逃避かもしれない。でもル=グウィン氏も言っている。「逃避とは自由になること」と。抜き差しならぬ現実を生きつつも、心だけは現実から解き放たれる。グイド独特の処世術。

私達はみんな生まれた時から死ぬことを定められた生を生きる。あの時代のグイドの経験には遠く及ばないかもしれないけれど、死に縁どられた人生を生きなくてはいけないのは同じではないだろうか。

人生は心が震えるような喜びや感動に満ちている一方で、それに劣らぬくらい悲しみも存在する。だからと言って悲しみばかりを見つめて生きるのは本人も周りも辛過ぎる。それに人生は悲しみだけでできているわけでもない。

終盤もはや見渡す限り絶望だらけの人生の中から、グイドは僅かな希望のかけらを拾い集め、幼い息子を懸命に支え続ける。悲しいウソの上塗りだったけれど、息子ジョズエの心に灯った希望の光は最後まで消えることはなかった。

若い時の私はどこまでもウソをつき続けて息子を翻弄するグイドの態度が許せなかったのかもしれない。あの頃の私はまだ学生でそうしなければ受け入れられないほどの辛い現実に直面した事がなかったから。その後の親の病いと死。さらに娘の誕生は、大きな喜びをもたらすとともに、その対極にある別れまで予感させた。

のちに妻となるドーラとの出会いやデートシーンはちょっと『ラ・ラ・ランド』っぽい。ファンタジックでロマンティック。帽子や鍵なんかの小道具の使い方がおもしろい。グイドのチャップリンばりの動きには何度も笑わせられた。現実にはありえそうにないところも随所にあり、突っ込みどころ満載なんだけど、そんなこと全然気にならない。今では許せちゃうこういう現実離れしたエピソードが昔の私にはリアリティに乏しく、浮ついた映画という印象を与えたのかもしれない。

ラストでジョズエが誇らしげに戦車に乗るシーンでは涙が出た。それに戦車に遭遇した時のジョズエの顔といったら!一生懸命ビックリした表情を作ってるのが透けて見える演技なんだけど、そこがまたかわいい。

主役のロベルト・ベニーニはコメディアンでもあるらしい。彼はなんとなくピエロを連想させる。顔に涙のペイントをしたピエロ。チャップリンのような強烈な個性の持ち主ではなくて、もっと万人共通の悲喜こもごもを代弁してくれるような象徴としてのピエロ。早まって消さなくてホント良かった~


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