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劇場文化

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2023年1月の記事一覧

地点についてざっくばらんに話してみた|美川永騎(学生インターン)とそのお友達(1/3回)【音声配信】

地点ではイェリネク戯曲連続上演を機に、「公演の運営・プロモーション」を活動目的として学生インターンを募り、昨年9月からオンラインでの定期的なミーティングを重ねています。その活動の一環(?)として各々の得意分野で「演劇」について何かしらのアウトプット/表現をしてみることになりました。今回は美川永騎さん(とそのお友達)によるザ・雑談です。録って出し、ノー編集、熱量たっぷりのクロストークを全3回に分けてお届けします。どうぞお聞き下さい! ★学生インターン記事のまとめはこちら

イェリネク語と地点語 佐々木敦

「わたしたちはいつも思う。全くの外部にいると。」 エルフリーデ・イェリネク『雲。家。』(林立騎訳) 私はドイツ語を読めないので、エルフリーデ・イェリネクの作品は、もっぱら日本語訳で読んできた。それでも彼女の言語遣いの異様さ、異常さはじゅうぶんに伝わるし(そこに多少とも勘違いや思い込みが作用しているとしても)、それを言ったら他の外国語の翻訳だって同じことだ。イェリネクの戯曲の日本語上演を最初に観たのがいつでどれだったかは記憶が定かではないが、それ以前に文字で邦訳作品を読んでい

「不協和音」の向こうに映る未来 森山直人

聴いたことことのない「不協和音」を聴いた。 『ノー・ライト』を見終わって、しばらく経ってから振り返り、思い出してみたとき、私自身が、この作品から受け取ったものは、ほぼこの一言に集約される。極論すれば、それ以外は、ほとんど思い出せない。私は2012年の初演も14年の再演も見ているので、木津潤平による圧倒的な舞台装置も含めて思い出せることはもちろんある。けれども、思い出そうとすると身体が拒絶する。思い出そうとして思い出せる内容が、ライブでの体験とくらべてあまりにも貧しいことが、

『ノー・ライト』感想 新野守広

地点を見始めたのは、2003年11月の『三人姉妹』からだった。春風舎の舞台には多数の古着やシーツが吊るされ、その前に椅子や机などの古道具が置かれていた。古道具に座る三人の女たち。彼女たちの背後から現れて、床に身を投げ出したり、バスタブから這い出したりする男たち……。どこかSCOTの『三人姉妹』を彷彿させながらも、意外な所で台詞を切ったり、通常のアクセントの位置をずらしたりして台詞を語る俳優たちの人工的な発声は、すべてを形式の遊戯に作り直し、内面から解放された身体を試そうとする