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ヒッチャー

先日、ルクス・エテルナを観たついでに、
ヒッチャーという映画を観てきたのですが、
こちらもなかなかに曲者な映画でした。

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親切で拾ったヒッチハイカーに命を狙われる
サイコスリラーといった映画ですが、
カルト的人気があるらしく、
まあ、納得のカルト感でした。

キューブリックも評価していたとか、
J.J.エイブラムスも評価していたとか、
内容よりも誰が評価していたとか、
そんなことばかりが目につく作品でしたが、
なかなかに内容もいい映画でした。

結末としては、主人公がヒッチャーを殺して終わりなのですが、
描写を観ていると単純なスリラー映画だけとはいえない、
不思議な奥深さのある作品でした。

ちょこちょこ主人公の妄想のように捉えられるシーンもあり、
これは二重人格とかいう落ちかと思いきや、まったくそんなことはなく、
主人公もヒッチャーも、あとヒロインも現実に存在している人間でした。
とはいえ、主人公の妄想、あるいは別人格という展開は少し狙っていたのではないかという気もしまして、そう考えると何てことないシーンも考察の余地ができそうです。取っ付きにくくなるから単純な展開にしたんだろうなという感じですね。
ちなみに、劇中のシーンがほぼ主人公の内面描写なのではないかというのが私の妄想考察になっておりまして、最初の眠気でトラックとぶつかりそうになるシーン以降はすべて主人公の内にある善悪などの衝突というミクロコスモスな作品という結論です。
単純に主人公とヒッチャーを善悪と位置づけることもできるかと思うのですが、善の部分はヒロインが担っているような気がします。その善の部分であるヒロインがヒッチャーにトラックでバラバラに引き裂かれるシーンは悪の勝利を示唆しており、その後のクライマックスで主人公が逮捕されたヒッチャーを殺しに向かうシーンは、悪を持って悪を制すというところではないでしょうか。
デヴィッド・リンチ的な映画の作りでいえばこんなシナリオになるように思えます。個人的な考察なので、まあ正解ではないでしょうが、正解に近い観方もできているように思えます。

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