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2021年の挑戦

気がつけば災禍とも呼べる2020年が終わり、
健康な肉体を欲して未来から侵略してきたケムール人も現れず、
混迷のまま新年を迎えたわけですが、
個人としての私に大きな変化はなく、
相変わらず歳を重ねるごとに年を越す実感が乏しくなっております。

不思議と偉いどこかの誰かがどうにかしてくれるだろうと思い込んでいたCOVID-19ことコロナですが、
ワクチン開発はポツポツと出始めているものの、
いまだ明確な解決策がない情態なのは、まさにこれが現実という感じです。

個人的には早々に落ち着いて欲しいというのが本音ですが、人間が霊長類などと傲慢なことを口にせずに謙虚になるいいタイミングかもしれません……などと達観したことはあまり思わず、そんなことで謙虚になる必要はないです。人間は知力による進歩を続けてきたのですから、困難があれば知力によって解決すべきですし、そもそもコロナ治療は進歩ではなくただのマイナス要素の取り除きですから、治療したとて進んではいないのですよね。
現状社会に悪影響こそ与えど、いい影響なんて微塵も与えない自分がいうのも噴飯ものなわけですが、各々のポジションで可能な限りのことをすべきでしょうし、嫌いな言葉ですが、新しい生活様式というやつですか、あれで生活していかないとです。
実のところ、少人数どころかスタンドプレーで過ごすことが多い自分からすると、その新しいやつはどうってことないのですが、カフェやら飲み屋やら映画館やらがその影響下で窮屈な感じなのが嫌です。
ライブハウスにいたっては瀕死状態のところも多いのではないでしょうか。
映画館の席数減少は観るときはゆったりでいいのですが、現地で当日販売のミニシアターは争奪戦になる可能性もあるので、やはり普通が良いです。

と自分で書いておいていうのも変な話なのですが、いわゆる普通に戻ろうとすることはしなくてもいいのではないかと思います。最初はコロナも未知の部分が多くてもしかしたら過剰とも呼べるべき対応だったのかもしれませんが、ソーシャルディスタンス的な意味ではなく、適度に距離を保って動いていって、それを今後のスタンダードとするのが正解だと思いますがね。変に前と同じように戻そうという揺り戻しのせいで、少し抑えればいいものが封鎖レベルになってしまっているような気もします。

つらつらと書いてしまいましたが、たまに書かないとnoteの存在を忘れそうになってしまいますので。
まあ強く願うのは、今年は丑年とのことですが、
知りもしない他所の牛が人の庭の牧草をむしゃむしゃ食い散らかすような真似しないでくれ
という感じですかね。

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