人類学の道第0回:「人類学の道」とは何か


これは外山恒一合宿の写真である。勉学をしている風景ということで。ちなみに右端の人物は右翼活動で有名な赤尾敏氏である。

はじめに

京都は北白川、歴史の教科書で金閣寺とついをなす銀閣寺のすぐ脇に、「哲学の道」という小道がある。春になれば桜が満開になり、多くの地元民や観光客、果ては学生たちを魅了するのだが、このみちが哲学の道と呼ばれているのは、昭和に活躍した京都学派を代表する哲学者、西田幾多郎が自らの哲学を思案するために好んで歩いた散歩道であることに由来する。なるほど、どうやら哲学というのは本に囲まれた狭苦しい部屋の中で、心地悪い椅子に座って理性を総動員する学問ではないようだ。「歩く」という身体運動を行うことによって思考に活力が漲り、「善の研究」やヘーゲルの弁証法と臨済宗的「禅」のあり方などについて思考を巡らせることができたのなら、我々は「思う(考える)」から「我」なのではなく、「身体」があるから「我」なのかもしれない。考えるのは、私ではなく、私の身体なのだ。そして身体は考えるだけでは存在することはできない。食べること、歩くこと、呼吸をすること、ストレッチをすること、欠損すること、病気になること、そしてそれらを包摂した身体を伴う「経験」をすること。恒常仮定(人間は普遍的にインプットとアウトプットを行う機能がついていると仮定する心理学用語)をベースに考える経験論者とは少し異なるが、我々がこの世界で「生きている」ということが、我々の「考える」ことなのだと考えられる、いや、「感じられる」に違いない。

ならば我々は、西田幾多郎のこの逸話に倣って、「人類学の道」を作ろう。それは物理空間に道を作り、「人類学の道」と案内板を置くことではない。道は物質的に、そして非物質的に広がっていく。どこまでも続くと錯覚させられる、広大だが有限で、幾多の可能性を孕んだ道。西田幾多郎はきっと「絶対矛盾的自己同一」について自らの考えを、あの道で巡らせていたに違いない。しかし我々が西田から学ぶことは、自らの理性が「正確」にそして「冷静」に判断を下すことのできる道を作ることではない。「考える」こと、そして「歩くこと」、この二つを実践する道を作ることである。一見両者は二つの異なることに思われるかもしれない。「考える」ことは頭の中に現れた事柄について頭の中で考えること。そして「歩く」ことは、どこまでも続くかのような雄大な大地を、広大な海を、そして神秘的な宇宙を横断していくこと。閉じられた運動と開かれた運動。そう仮定すると、考えているときに歩くと、目に映る満開の桜や川のせせらぎなどが思考を妨げ、逆に考えることは身体の「外」にある現象を逃してしまうような気がする。だが、事実として「哲学の道」はあり、西田は「歩きながら考えた」のである。ならばその二つは相反する行為として割り切ることはどうもできないらしい。ならば相互作用として考えれば良いだろうか?歩くことは血行の巡りを改善し、脳に血を与えることによって頭が良くなると言えば良いのだろうか?はたまた考えることは歩き方を変え、負担の少ない歩き方を身体に提供してくれるのだろうか?しかしこの相互作用的な考え方も、身体と精神(心にしては理性的なので、ここでは西洋的な「精神」にあやかろうと思う)を分けてしまっているように思われる。シンプルに考えれば、歩けば疲れるのだから、考えることはリラックスした状態でした方がいいのではないか?スポーツをやっている人間ならわかってくれるだろうが、フォームを図解や言葉で説明されたところで、「はいそうですか」とできるものだっただろうか?やはりここではデカルト的二元論を採用してしまっては、どうにも「哲学の道」を歩くことはできないらしい。
ならば次に提示することの方が、どうもしっくりくるように思われる。つまり:

考えることは歩くことであり、歩くことは考えることである。

「閉じた」領域での思考など、妄言にも等しい。我々は目を瞑って考えている時でさえ、風の感覚や金木犀の匂いを感じる。我々は勉学の時にのみ考えているのではない。「常に」考えているのだ。眠っている時も起きている時も関係なく「考えている」。ならば考えるということは、どうやら頭を使って理性的に思考を働かせることだけではなさそうだ。久しぶりに走ったら、学生時代と同じランニングフォームで走ることができるのも、通りすがりに嗅いだ誰かの香水で、昔のことを思い出したりするのは、どうも頭の働きだけで説明がつく物ではないのだ。「身体と思考は切っても切り離すことができない!」ではないのだ。身体が思考をするのだ、脳ではないのだ。出なければ我々はなぜ食べ物を食べなければならないのだろう。ある人類学者が、デカルトは「我思うゆえに我あり」ではなく「我食べるゆえに我あり」というべきだと言っていたが、まさしくその通りなのだ。食べるから考えられる。身体があるから考えられる。だから歩くこと、つまり「生きていること」と「考えること」は同じコインの両面に過ぎないのだ。

ここでふと思うかもしれない、ならば「哲学の道」で良いのではないのだろうか。何も「人類学」と名打たなくても良いのでは何のかと。ここでは第一回の書物として取り上げる本から引用をさせてもらおう。

「私の定義では、人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である」

「人類学とは何か」ーティムインゴルド(奥野克己/宮崎幸子 訳)


哲学の道、で良いのだ、我々が行こうとしているのは、例え銀閣寺の近くでなくても、我々は「考えること」を行うのだ。だが我々が歩く=考える道は定められた道だけではない、我々が歩くのは我々の生きるこの世界なのだ。大地、海、宇宙、神話、SF、言語、死、天国、地獄…物質的に存在する場所からフィクションの世界まで、我々は歩き=考え続ける。考えることが歩くことと同意義である時、考えることは世界と共に生きることを意味する。なぜなら我々が道を歩くとき、歩く道がなければ、空気がなければ、動機がなければ、臓器がなければ、道に住まう生き物たちがいなければ、そしてその道についてまわる歴史性と、さまざまなものがなければそもそも「歩くこと」などできないから。歩くこととは世界とつながることではない。歩くことは世界と繋がっていると「実感」することなのだ。我々が世界を歩くとき、我々は世界に歩かされているのだ。だから開かれたこの世界を歩くことは、この開かれた世界を考えることなのだ。そしてこの開かれた世界を考えるには、僕たちは自分たちの開かれた身体を使っていくほかないのだ。そうして僕らは道を作る。僕の前に道はあり、僕の後ろに道はできる。だが僕の目の前に広がる道は、誰かが通った後ろにできた道で、道なき道は、これからできる道を「予感」させる未来の道である。道は比喩でもあるし、「リアリティ」でもある。エジンバラで茶道を実演しに来た表千家の師匠が、茶道や剣道などの「道」は、その道を進むことによって「禅」を捉えようとする試みであると言ってた。そうなのだ、道は無数にある(ように思われる)のだ。そして「禅」が言葉で決して捉えることができないように、人類学の道にあるものも決して捉えることができない。それはスピリチュアルでオカルトチックなことではなく、我々が個々の身体を通して経験することであるから、「普遍的」に言語で万人にわかるように説明できないということだけである。それぞれの日常の中で人類学を学び、それぞれの世界の中で人類学を実践する。そうして得たものは、どのような道であれど「人類学」である。けれどもそれは普遍的に定義できるものでは一切ない、ヴィトゲンシュタイン的な、はたまた宮川淳の捉える芸術的な、常にその定義が「開かれた」、動的な言葉なのだ。道は触手のように広がっていく。僕は先人たちの道を歩き、自ら新しい道を開拓し、そして来るべき巡礼者たちに向けて、道なき道に「道」の可能性を残していく。時にはかつての道を消すこともあるし、舗装することもあるし、立ち止まることもあれば引き返すこともあるだろう。そうしてあてのない、目的地にたどり着くような旅ではなく「歩くこと=考えること」それ自体を楽しむ「旅」に出る。死んだらそれまでだ。だが私の遺灰が海に撒かれればそれは新しい命の糧となり、死してなお私の思想は誰かに繋がっていく。主体性を失ってもなお、「道」だけは残っていくのだ。

だからこそ、「人類学の道」なのだ。私はまず自らを「人」として自認し、さまざまな道を歩く=考える。そうして自分の「人」の定義が歩く=考えることによって瓦解した時、または生物学や職人の技術、恋人や思想や国家などの道と繋がっていく時、それは「人類学」ではなくなり、新しい名前をつけた道になるだろう。その先にある道がなんなのかは私にも解らないし、知りたいとも思わない。ただ歩く。歩いてやる。地上で眠り目を覚ます。だかそのためには入り口が、スタート地点(と勝手に決めるポイント)が必要なのだ。ならばまず、私はここから、「人類学」からスタートしよう。

前置きが長くなってしまったが、これは私が大学院入試で必要な「人類学の書物」をまとめていくnoteである。面白みはないかもしれないし、私はこれを自分のためにやっているので、人が集まらなければやめる、などということはしない。自分な三日坊主なのをよく知っているのが、これをやらないと、大学四年間哲学と英文学に注ぎ込み、初めの一年は全く異なる大学で経営学をやっていた自分はきっと人類学を理解することはできないだろう。つまるところはこれは報告書ではない。私の歩く「道」を示した日記帳である。まあ言っちゃえば勉強ノートなのだが。

というわけで早速初めて行こうと思ったのだが、4000字近くもうすでにあるので、これを0回にして、次から初めていこうと思う。久しぶりに文章を書くと、引いていたと思っていた熱は実は心の奥底で溜まっていただけなのだと気づいた。いやはや文章を書くのは最高に楽しい行為である。

ではまた次回、アディオス〜



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