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都市計画事務所勤務編

人生記録簿(4回目)1989~1992

大学時代は、たまに単発でバイトをしてましたが、3年生の時に、同じサークルの知り合いに都市計画事務所のバイトを紹介され、継続して働くことになりました。最初は、週に何回かシフトで入っていましたが、大学は単位制なので、学年が上がり普通に通っていた場合、単位取得のための授業が減ってきます。授業が減った分、そのままバイトのシフトを増やしたため、いまでいうインターン状態になってしまい、大学最終年に他企業で就活してみたのですが、結局正社員では就職せず、バイト先の都市計画事務所でいまでいう派遣社員のような状態でした。

大学時代にSRX400を購入し乗っていましたが、累積で違反点数がたまっていた時に白バイに止められ、切符をもらいました。当時は、騒音規制が緩く単気筒で排気音(社外マフラー)が大きめだったので、追尾されていることに全く気が付きませんでした。(自分の排気音でサイレン聞こえず、振動でミラー見えず、赤信号で止まった際に追尾されていたことに気づきました。)結局、簡易裁判で免許取り消し欠格1年になりました。

当時の名刺(一部画像加工)

バイクに乗れない日々始まりましたが、近所のバイク乗りの先輩から航空写真のカメラマンのアシスタントに誘われ、バイクに乗れない期間、ヘリコプターに乗って仕事をすることにし、半年ほど、都市計画事務所を休職してカメラマンのアシスタントになりました。ヘリコプターに乗り、カメラマンが業務用のフィルムカメラで撮影するのですが、枚数を取るので、何台かカメラを用意し、フィルムを交換していく仕事でした。通常とは違い、フィルムがケースに入っておらず、交換をミスすると感光してしまうので、結構大変でした。当時はデジタルカメラが普及しておらず、フィルムカメラ全盛期です。今から35年ぐらい前の話です。仕事をしていた地域が、兵庫県周辺と四国でしたので、ホテルや民宿住まいでした。半年限定の仕事でしたので、東京に戻り、都市計画事務所に復帰し、バイクの乗るために免許を取ることにしましたが、都市伝説でしょうが、免許取り消しの場合は、試験が難しいというウワサがあったので、中型免許(現在の普通自動2輪)は教習所で取りました。(同じ教習所に入所したので楽でした。)次に車の免許は、試験場で受験しました。当時は、限定解除(大型自動2輪)は教習所では取れず、試験場で受験で結構難関でした。民間の練習場で練習してから試験場で受験しました。(練習していた車種は、最初はGSⅩ750Eで、試験場がFZX750でしたので、試験前は、FZX750で練習。)練習のおかげか限定解除に成功しました。

SRX400復活

免許がない時代もSRXは持っていたので、中型免許取得と同時に復活です。

撮影年代を忘れましたが、一時、乗馬に興味があり、ツーリング先で乗馬することがありました。革ジャン、ジーンズ、ブーツでバイクに乗ることが多かったので、そのまま乗馬していました。

88DT125R

働いていたので、オフロード車を増車です。乗っていたバイクの写真が無いので、カタログ写真です。このオートバイは、10万キロほど乗り、エンジンが破損したので、処分になりました。YSP時代まで、通勤車で活躍していました。購入後は、エンジンを弄ったり、足回りをDT200Rに交換したり、2ストロークとオフロード車の知識を得るのにお世話になりました。

当時、オフロードも結構流行っていたので、仲間に誘われて、桶川のオフロードコースで耐久レース出ていた頃です。

写真の車両は、バイク仲間が購入したホンダCRM250です。当時は、河川敷で走行していたこともあり、自走(DT125R)で行って走行していた時期もありました。

1991年式ローバーミニクーパー1300キャブ

写真は、結構後の時代の物ですが、都市計画事務所時代に、初めての車も買いました。1991年式のミニクーパ1300で、キャブレター車でした。やっぱり弄ってしまっています。ようやく次は転職し、カスタムバイクショップ編に続きます。そういえば、山羊座、O型(RH+)です。


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