「場に馴染む」

という表現があります。

職場や、飲み会、その他イベント会場
喫茶店や、服屋、とあるコミュニティ集団

この世には幾多の場があり人が集まり 全体像を形成し そしてその中に パーツとして当てはまり その役割を過分なく発揮することを 「場に馴染む」と捉えがち。

まぁ、それも当たってると思いけり。

ですが
私が言いたいのは もっと ただ場。
場そのもの。
「人がいない場所」に いかに馴染めるのか ということだったりします。

なにを言ってるのか と申しますと

道で寝てる人

っているじゃないですか。

理由は様々 酔っ払って寝ているのか
住居がなくもっぱらそこが寝床なのか
そういう人たちのその場に馴染みっぷりが私は好き。

道で寝る。
それが道路であれ 歓楽街であれ 家の前であれ スクールゾーンであれ 運動公園のお散歩コースであれ。
なんともまぁ「場に馴染む」ではありませんか。

やはり、その風景の一部になることがなんとも美しく理想的。私は道で寝てる人を見た時 即神仏を拝むような気持ちになる。私が道でやむを得ず寝てしまう場合にしても。

自分の立ち位置を理解しようと俯瞰で見続け身のこなしをし連鎖の中に入ろうとする行為が社会参加であるのなら「場に馴染む」必要はなく、その全てを表面的には崩していないが 本質的にはかなぐり捨てて公衆の面前で睡眠欲を満たすことこそが私は愛おしく 本当の意味での「場に馴染む」だと思う。

多くの人が
見て見ぬふりをしているのではなく
見ず見るふりをしてるのではないだろうか。

そう、私は道で寝てる人を見ると どこか安心する。
見下しているのは物理的にだけど精神的には見上げてる。
私もその瞬間 道で寝たいのだ。
これはおそらくみんな感じてることだと思う。

「場に馴染む」どころか「場」そのものになっている。

さぁ皆さん、
現代社会の生きづらさに疲れた皆さん。
道で寝よう。

もしくは
外でセックスをしよう。

すいません。最後なぜか 性癖出ました。