ついこないだ

父親と話していて、ふと

「植物って陣地取りしてると思うんだ」

と言っていた。


なるほどな と思った。
 

鬱蒼と繁る草々や木々を想像し その様子を陣地を取り合っている。と言い表すのは面白い。
彼らに感情や精神があるのだとしたら熾烈な闘争心のもと 誰がより生い茂られるか常に競いあっており、無事繁殖の割合を多く取れたものは揚々とその優越感に浸るのかもしれない。
なんでそんな話を父親としてたか忘れたが。

 

ただなんだかその感じは腑に落ちる。
 
なぜなら我々 人類にもその感覚はあるからだ。

 
逆をイメージするとわかりやすいが
この地球上に人間ではない違う種類の生物が高い知能を持ち 優れた文明を築きあげ ものすごい勢いで増殖していたら それは単純に怖いでしょう。そんな末恐ろしい事はないでしょう。居心地激悪でしょう。そうでしょう。

自らの種族のその絶対個数が多くなるとなんだか安心する。
生存確率が上がることに本能が胸を撫で下ろしている気がする。
まぁ、ある程度までにしておかなければ今度は増えすぎて絶滅する可能性も出てくるけど。
 
 
この事を自覚してゆくと

なんだか気持ち悪くなってくるのだが

つまり我々は 分身をしているのだ。

 
話を植物に戻すと
彼らももちろん生き物な訳で我々と同じ繁殖を目的とした遺伝子を抱えている。
そうなると道端に生えた雑草、野草、コケですらなんだか甲斐甲斐しく思えてくる。

共鳴出来る部分はあるのでは

森林地帯や山道を歩くと木の根の部分を踏んで進んで行きたくなる。
子供の頃 木登りをして遊んで いい感じの窪みに身体がフィットすると高所に居るはずなのに妙な安堵感が芽生える。
たまに女体のような形の野菜を見た時 変な気分になる。
これらは似たような事だと感じる。

 
もう少し この事に抽象的な角度を入れてみよう。

森を理解するとき

木を真正面から見てそれがその周辺に幾田も叢生している。

もしくは遥か上空から木々が地面を覆い隠しているそこら一帯を撮影した画面を捉える。

さらに言えば地球を宇宙から見て その青と緑の比率差を植物のパーセンテージと理解する。

その時なぜか

途方も無い気持ちになるのだが
その途方もない気持ちとしては身近な感じがするのだ。

途方もないというジャンルの最小単位。庶民感覚の途方もない。
一番最初の途方もない。初恋ならぬ初途方。途方バージン。

時空や細胞 それらを除いて もしくはそれらを意識しやすいように
個の増減が空間や概念そのものを形作る という事を森がわかりやすく体現してる。
というか森で捉えるとわかりやすいのだ。
木が増えて森という字だし。

おや 。 ちょっとスピリチュアルな雰囲気が漂ってきてるかもしれませんので、今まで言ってた事を要約して表しましょう。つまり


 
いや~

繁殖したい ものですねぇ