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記憶

どうやってその人と出会ったかって覚えているだろうか。自分たちが持っている人間関係って、あまり意識しないようなタイミングで、いつのまにか仲良くなっていたりする。そして気付いた時にはその人のことが気になっていて、いつも頭の中にあって、それが恋心や愛情だと知る。

お互いが距離を縮めあって恋人となって幸せな時間を過ごす。意見の食い違いや趣味の違い、育ってきた環境が違えば当然それぞれが持っているものは違っていて、本人たちが意識できないところで歯車が噛み合わなくなれば途端に時は停止してしまう。

この幸せな記憶は一生忘れることはないだろう。幸せの最中にいる僕らはそれを疑いもしない。この幸せは一生続いて欲しいし、長い人生で積み上げていく大切な記憶になると信じている。

それの原因が何であるかは正直定かではないが、人間は自分ではない人間に対してイラ立ちを感じ、それが最愛の人であっても関係なく起こりうる。そのイラ立ちという摩擦が大きくなると人は許容することが困難になり、離婚であったり破局へと到る。そして人は過去を見ることを良しとしなくなる。

パソコンの中に保存していた沢山の昔の写真を久しぶりに眺めていると、当たり前だけどバンバン出てくる昔の恋人の写真。「こんな奴なんて!」と怒り心頭であれば即消去、なんて人が多いのかな。僕はもう戻らないその関係を悲しく思いながらも、そこに写っている笑顔の中には確かに幸せがあると感じて暖かい気持ちになる。今の恋人に失礼っていう話もあるだろうけど、その時はその人のことが好きだった事実は本当のことなのだから、隠すことも消すことも、塗りつぶすこともどこか悲しい。過去のことをわざわざ語る必要はない。けれど、そこにあったものは綺麗な想い出として少しくらいとっておいてもいいのではないか。後ろを向いて引きずる必要はない。少し先か、かなり先か、あるいは死ぬ直前か、ふと振り返ったときに暖かい気持ちになることは悪いことではないと自分は考えている。

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