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交錯する人生

人の出会いは脆く、儚い。またいつでも会えると思っていた人と会えなくなることは少なくはないし、だからこそ繋がった関わりというのは大事にしたい。だからといって、誰とでも仲良くなれるわけじゃないのが人間の難しいところだ。

街ゆく人とすれ違っても、他人だから認識せず過ごすだろう。何かが違えば知り合いだったかもしれないし、恋人だったりしたかもしれないifの世界。それは空想の世界と思いがちだけど、小さなアクションひとつで枝分かれする世界線を進路変更することは可能であり、起こりえる、自らの意思で起こすことのできる小さな奇跡だ。

実際に直接会話がなくてもいい。少しでも関係を持った人が幸せそうに暮らしている状況をSNSで見かけるだけで嬉しく思う。リアルの世界もSNSの世界も、異なるようで根っこの部分は同じで、繋がりをどこで保つかというところにある。ネット上で「今日はこんなことがあったよ」と報告があるだけで、見ている人間と少しばかりの繋がりが起こる。

ただ、東京で街を歩く人は多過ぎるし、ネット上も人が多すぎて、それぞれ個人を認識することは限られた人数に留まる。だからこそ、人を知り合いと認識できた人というのは貴重だ。関係を持ち続けることのできる範囲は人それぞれ幅があるけど、僕は「人との繋がり」というものが今の世の中においてイコール人生なのではないかと思う。

全ての人とベッタリ仲良くする必要はない。困っている人と出会った時に、手を差し伸べることができれば十分だろう。ちょっとした優しさでも、本当に困っている人にとって、手を差し伸べてもらった嬉しさは一生の糧になる。よかったことがあれば祝福し合おう。それは大きな木を彩る小さな1枚の葉っぱに過ぎなくても、小さな1枚1枚が大きな木には大切だろうと思う。

歩み進んでいくあなたと同じ道は歩けないけれど、楽しく充実した道を歩んでくれたらいいなと願ってる。
強い人、弱い人、みんなそれぞれ歩んでいる。もし途中で躓いている人と出会ったなら、手を差し伸べあっていきたいもんだ。
まあ何かって言うと、あなたのことが見えてる限りは陰ながら応援してますよって話。何も手を差し伸べられないかもしれないけど、気持ちは応援してる。はじめてのおつかいで子を見守る親の心境とちょっと似てるかもしれない。

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