自分の障害について思うこと①

自己紹介でもお伝えしましたが、私はASD(自閉スペクトラム症)です。発達障害です。

中学3年で判ったと書いたので、さぞ障害受容はできてるだろうと思われるかもしれませんが…

正直に言うと障害受容はほぼできてないと私は最近気づきました。私の場合はちょっと特殊という部分もあるのですが、その理由は2つあります。

今回は1つ目について書きます。

1つ目の理由は自分がASDだって知ったのはとても偶然かつ突然すぎたのに、そのあとのフォローはなかったに等しいことです。

私は中学3年の時に当時の主治医からアスペルガー症候群の診断をされたのですが、告知は母にだけでした。その理由は私には想像しきれない部分もあるのですが、主治医や母なりの考えがあったことと思います。
当時はまだ今ほど発達障害に対する理解や知識も広まっていなかった時代だったというのは少なからずあるのではないかと思います。

じゃあ当時どうやってアスペルガーを知らされていたの?って思う方もいるかと思います。
※あくまで私の場合です。みんなそうというわけではないということは御理解くださいね。

私には当時、主治医からは
①得意な事と苦手な事があるんだよ
②苦手なことで困ってるんだよ
と伝えられていました。

母からの説明とかは特に本当になかったです。

じゃあ私は当時どうだったか?

正直に言うとすごく苦しかったです。主治医はちゃんと話は聴いてくれてました。アドバイスもくれました。でも、具体的な助けが何かあったわけじゃないんです。困り事は増えるし、容姿のこともあったし、行動のことで色々な人にイジメられるし本当に苦しかったです。


でも、弱音を吐いちゃいけない、逃げちゃいけない、いい子でいなきゃ、苦しいとか本音を言っちゃいけない、学校行かなきゃ、認められたらいじめられなくなるから頑張らなきゃ…って本当に色々思っていて、心はいっぱい何も言えませでした。だから過呼吸起こしてしまっていたんだと思います。

過呼吸=そこ(苦しみ)から逃げる手段って思ってしまったから、体が心が覚えてしまって、ほぼ毎日過呼吸。
でも…過呼吸→自己嫌悪→余計状況が悪くなる→また過呼吸…のエンドレス

まぁ苦しいわな…そりゃ…ね…

って、こんな風に書いてるけど、過呼吸起こしていた理由が分かってきたのは本当に最近で、当時はもう感情も生活もいっぱいいっぱいの中で本当にギリギリ生きてました。

でも、まだ私は自分の障害について告知を受けてない状態でこれ。
しかも私はちゃんとした告知じゃない状態で知るんです。だからもう少し拗れます。

いっぺんに書くにはしんどいし、長いので…

続きは次回また書きます。

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