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自分を愛する

私は罪人ではないのに、どうしてこんなにも罪悪感に苦しむのか。

こんな私でごめんなさい、私なんかがこの場所に居てごめんなさい、と今まで何度も思ってきた。
ガラスの瓶に既にビー玉がいっぱいで、私が入ってきたことでバランスが崩れ瓶に亀裂が入る寸前のイメージ。「私なんか早く居なくなればいいのに」と自分に対して思う事は、新しい環境に入ったときの恒例行事みたいなもの。

小学校高学年には既にこの思考癖はついていたな。なんか子供時代のわたし不毛だな(;_;)

人付き合いが悪いところが嫌い

理想の自分と、かけ離れているところが嫌い

親や周りの期待に応えられないところが嫌い

そして嫌いな自分に「そんな考え方ダメだよ」とダメ出しする自分が嫌い

空気を読んで疲れ切って、常にエネルギー不足の自分が嫌い

私は自分のペース(物事の始めは超スロー)でしか進められないから、私なんかが近づいたら迷惑をかける、嫌われる、嫌がらせされるかも、時間や気持ちを搾取されるかも…と思うと身動きとれず、人が怖くなり、更に自分が嫌になる。

「こんな私でごめんなさい」的な考えしかできない自分を許し、受入れ、愛したい。

そのままの自分を受け入れるのは、自分の嫌いなところを「そのままで良い、生きているだけで価値がある、人生を楽しんで良い」って自分自身に許可する事。


過去を振り返ると自分を理解してくれそうな優しそうな人は遠ざけ、わたしを理解してくれないであろう人を無意識に選んでいたな。私なんか人に理解されるはずがない事と思い込み、わざわざ欲しい愛情をくれない人を選んでいたのかも。

悩みが解決すると理想の自分になれるはずなのに、意外なことに潜在意識では解決しちゃった理想の現実は面倒だと思っており、いつまでも堂々巡りに悩むのだという。本当は解決したら困るのなら、その偽りの悩みは時間のムダだったということになる。貴重な時間を使って悩むなら、本当に解決した事を考えたい。

理想の自分は本当になりたい自分なのか?
理想に近づくために今すぐ行動に移せないということは、違うところに本当の理想があるのかも。

私の理想は、ネイティブ並みの英会話ができる!戸建てを簡単に購入できるくらいの収入がある!ギターの弾き語りが出来る!という感じ。でも特になにか努力をするわけでもなく、実際は家でゴロゴロしている。
理想を叶える努力がなんで出来ないの"(-""-)"?って自分を叱責して、そのダメダメっぷりに自分を責め嫌いになり何も手につかなくなり~の悪循環。

私の本当の本当の理想は、家でじっとして本を読んだり、動画配信を見たりして贅沢に自分時間を満喫することだなんだと思う。素敵なわたしになるための理想の努力は本当はやりたくないんだよ。

子供の頃、なんか今楽しいな♪と感じていると「遊んでるなら勉強しなさい」と、えらい剣幕で母に叱られたことが何度もある。親が商売をしていて放置プレイだったから、一人遊びが得意で小学校高学年になっても人形で遊んでいたら「いくつだから人形遊びしてんの」と、これまた強く叱られた。わたしが楽しむ事はいけないことなんだ…と無気力学習ですな。親は勉強しろと言うけれど、やる気は奪っていくという矛盾。やった本人(親)は、その矛盾に気がついていないと思う。
人生遠回りしちゃったよ。でもそこを含め私の人生なわけで、味があっていいじゃない!って、まるごと受けいれちゃおう。
正直わたしの親は人を育てるのが下手だと思う。放置されて寂しい事が多かったけど、一応愛情は感じながら大人になれたし過去はもういいじゃない(って思いたい)。

わたしは自分で自分に愛情をかけて、自分を育てていこう。

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