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"NO!”と言えない自分から抜け出す はたらき方

"NO”を言ったら、ワガママだって思われちゃうんじゃ…。
本当は行きたくないけど、これって勝手な行動じゃないかな…。

本当は、
「すみません、ちょっと……。」
その一言がずっと言いたかった。

「やりたくないなら言えばいいのに。」
そう人から言われるたび、
「やりたくない」って伝えることが難しい人間だってこの世にはいるんだ!!
何度叫びたかっただろう。その叫びも、結局のところ自分の喉の奥に飲み込まれてしまって、言葉になることはなかったのだけれど。

"NO"って言ったら嫌われるんじゃ?
"NO"って言ったら認めてもらえないんじゃ?
"NO"って言ったら評価が下がってしまうんじゃ?

自分で自分に自信がなくて、自分で自分のことが肯定できなかった。
常に人の反応をうかがって、波風立てないように。
他人にアイツ、勝手だな…って思われないように。
他者から必要とされたいから、いつもいつも周囲からどう見られるかが怖かった。

結果、自分の心に蓋をして仕事をし続けていた。
苦しかったし、結論から言って、そんなはたらき方じゃ、自分を肯定することはできなかった。

そんな私が、つい先日、気が向かない会社の飲み会を初めて断った。

心が、ふわりと楽になった。
断れた自分をほめたくなった。

だからこそ、今、私はここに宣言する。

"これからの私らしいはたらき方"とは、"自分の心に嘘をつかないはたらき方"である。

1.とにかく"NO"を言わないはたらき方(過去)

私は、自己肯定感が非常に低い。
今まで恋愛がうまくいかなかった理由も、自分の自己肯定感の低さが関係しているように思う。だって、

「好きだよ」

って、言ってもらっても、自分で自分が肯定できないから、その言葉を信じることができないのだ。「好きだ」と言ってもらったこと自体を幻聴だと考えるほど。(これ、実際にあった話。)

仕事でも、自己肯定感が低いゆえに、自分のパフォーマンスはダメなんじゃないかという不安がいつも付きまとった。
もっともっと頑張らないと周りから見放されるんじゃないか……。
そう考えてしまい、自分ができることの範囲を越えて頑張る。

残業なんて当たり前。
それでも、周囲が求めているだけの成果があげられていない、結果が残せていないんじゃないかと、自分で仕事を増やしてやり過ぎる。
やり過ぎて、逆にダメ出しを食らう。
自分を否定する材料だけが、どんどん増えていく。

どれだけ頑張っても、私はこの会社のために何かができる人間にはなれないんじゃないか……。
自分で自分が認められないから、そんな結論を自分で勝手に出して、

自分は、何もできない……。
自分は、役立たずなんだ……。

絶望した。
そして、人は周囲にいるのに感じつづけた孤独。
他者とのつながりが感じられない苦しさ。

自分自身の欲求や要求を表現することは「ワガママ」や「迷惑」だと捉えていたから、余計に何も言えなかった。

取り敢えず、自分ができることは全部やった。
自分がやりたくないとか、自分が居心地が悪いとか、ぼんやり感じることはあったけど、気がつかないフリ。
会社の人たちから認められたいと思って、会社の人から認められるにはどうしたらいいだろうって、勝手に自分で判断をして働いていた。

私は、他者とは違う。

他者の基準を推測することはできても、その推測が正解である保証なんか何もない。他者からの評価を求めるはたらき方は、結局、他責なはたらき方でしかない。そのことに私は気がつかず、とにかく馬車馬のように働いた。そして、思うように他者から認められない孤独に苦しんだ。

2.自分の心と対話してはたらき方を選んでみた(現在)

私が他責なはたらき方から解き放たれたのは、実はコロナの影響で仕事の実働時間が減ったからだ。

とにかく仕事・仕事・仕事・仕事・仕事……

すべての隙間時間を仕事で埋め尽くすことで、自分の心を誤魔化し続けていた。自己肯定感の低さだけじゃない。とにかく色々なことが私に孤独を与えていた。
自分で"しなければならない"を量産することで、辛い気持ちと向き合うことから逃げていたのだと、今では思う。だって、辛い気持ちと向き合うことは、今の自分が理想の自分ではないと認めることだったから。

それが突然、コロナの影響で仕事が減り、自分の自由時間が与えられた。
何をどうしたらいいんだろう…。
突如与えられた自由時間で、私は「Coursera」というサイトを見つけ、「The Science of Well-Being」(幸福学)のコースを履修してみた。
それをきっかけに、私は自分の心と向き合いはじめる。

自分の心と向き合い、自分のことが少し分かるようになって、私が始めたこと。それは、
”自分が好きなこと、興味があることをとにかくやってみる"
ということ。

【仕事の時間がない=一人の時間】だったので、誰に遠慮する必要もなく、気兼ねすることもなかった。
自分でやってみたいこと、行ってみたいところを調べ、とにかく実行してみた。

楽しかった。

誰からの評価も気にせず、純粋に自分が心地いいと思うことをやるって、こんなに気持ちいいんだっけ?

そう思った。

最近、仕事を選ぶときの基準の一つとして、「スキトク」という言葉を聞くことがある。
「スキトク」とは、【好きなこと×得意なこと】という意味。
私の「スキトク」って何だろう?
そんな考えが浮かんだ。

そこで色々と調べてたどり着いたのが、webライターという仕事だ。
たどり着き、本業との二足のわらじ生活を始めた。

3.これからの私らしいはたらき方(明日の私との約束)

結論から言うと、今、毎日がとても充実している。
自分でWebライターという仕事を見つけ、本業との関わり方も変わってきた。

“自分の気持ちを優先すること”は悪いこととは限らない。

そう思えるようになった。
判断基準が自分軸になって、気持ちの上で働きやすくなった。
他者の評価を気にするのではなく、自分で自分に問いかける。

今、自分がしていることは、自分のベストかな?
今日の自分は昨日の自分より成長できているかな?

そんな自責のはたらき方は、私に充実感をもたらしてくれた。
自分をほめるポイントが自分の中にあるから。
他者に、判断をゆだねない。

自分で自分の気持ちを適当に扱わなくなったことで、心のバランスがとりやすくなったというのもある。
今日の自分はいい、今日の自分はあまりよくない……。
自分の心のコンディションにお伺いをたてながら、その日の自分をカスタマイズしていく。
心に無理があまり生じなくなったし、リラックスできる時間が増えた。
何よりも、「どうせ私は何もできない……」と絶望を感じる時間が、今ではほとんどない。
そうすると気がのらない時、職場の飲み会の誘いなどを断る勇気が自然に持てるようになった。

もう、あの自己否定ばかりの時間はイヤだ。
だからこそ、私は明日の自分に約束する。

これからは、自分の気持ちと向き合うはたらき方を選んでいくね。

まとめ

スティーブ・ジョブズの有名な言葉がある。

今日が人生最後の日なら、あなたはどう過ごすか?

常に周囲の顔色をうかがい、他者の意向をくみ取ることを優先するはたらき方を選んでいたのは、自分の責任だ。

"選択する自由"は、誰もが持っている。

ただ、自分への自信のなさだったり、他者からの評価だったりが気になってしまい、自分が本当に望む選択をしないことがある。一度そうなると、外に一歩を踏み出すのは、大変だ。ものすごい勇気がいる。

それでも、人生最後の日に自分がやりたいと思うことに真正面から向き合う意識を持ちたい。
自分の気持ちをごまかさない。
自分の心がのらない時には、無理をしない。相手に失礼にならない方法で伝える。
それが人生の限られた時間を豊かにする。

もちろん、仕事である以上、どうしても断れない内容だって時にはあるだろう。
そんな時には、自分をほめる絶好のチャンスだと思うことにした。
自分で自分が楽しめたら、自然と仕事のパフォーマンスもあがっていく。

相変わらず、私の自己肯定感は低い。
ただ、それを素直に認め、自分の考え方が自分の行動にどう影響をあたえているかを分析したら、何だかちょっと気が楽になった。

自分の気持ちに寄りそうことを心がける。
それが、【これからの私らしいはたらき方】だ。

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