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自分の好きを基準に行動したら、人生の不安が減って楽しみが増えた話

「想像力、すごいですよね。」

大きな切り石が無数に積み上げられた石垣。後輩がおどろいた顔をして、そう言った。逆に私がビックリした。一緒に行った古い寺。

「これさあ、数百年前に作られたものだから、機械とかなかったんだよね。ぜーんぶ、一つ一つ、人が適した大きさの石を見つけてきて、ここまで運んで、人力で組み合わせて、そして、今、ここにこうやって残ってるんだよね。すごいよね。」

と、私が何の気なしに話したことへの、後輩の反応がそれだった。その時、この私の感覚って自分のオリジナリティなのかもしれない……そう思った。

私は、寺社仏閣巡り、美術館・博物館巡り、そして工芸品などを見るのが大好きだ。メンタル病んでいて、今すぐにでも死ねたらいいのに……ひたすら、そう考えていた時がある。たまたま、そのタイミングで友達が遊びに来て、観光がてらお寺に行った。観光中、ずっと心に黒いネガティブな靄はかかっていたけれど、それでも一人で楽しめない映画鑑賞をするよりも、ちょっと心が楽だった。

それがきっかけとなり、月に一度は寺社仏閣巡りをした。おかげで2020年は御朱印帳コレクションが一気に2~3冊ほど増えた。また、ずっと声をかけてくれていたけれど、行かずにいた呉服屋さんの月一の催事にもがんばって顔を出してみた。もともと着物は好きで、一人で家にいるよりも気が晴れるかもしれないと思ったからだ。

催事には、日本全国から一流の職人さんが来ていて、直接話が聞けた。目の前にある美しい着物や帯、そして小物を食い入るように見て、職人さんたちの貴重な話に聞き入った。開店と同時に店に行き、私が店を出るのはいつも午後の1時、2時ぐらいだった。

呉服屋の店員さんからは、
「あんたは職業間違ったなあ。次来た時に、職人さんになってても、全然おどろかんわ。」
と、言われた。本当に、純粋に職人さんたちの話や、手仕事を見せてもらうのが楽しかったし、何より感動を与えてもらえた。

だって、古くから残っているものって、全て、「今ある」状態になるまでに、たくさんの人の想いが宿っている。
寺社仏閣もそう、古い芸術作品などもそう。作られてから、何十年、何百年も経っているのに、「今もある」ために、一体どれだけの人の手が関わっているんだろうか、そう思う。物は必ず劣化する。後世に遺したい、その想いだけでたくさんの人たちが、その時自分ができることすべてを、物に託している。

伝統工芸品を作り続ける職人さんたちの技なんて、無形のものだ。体験からしか遺していけない。先人たちから技術を受け継ぎ、そして、それを自分のものにし、更によいものにしていくために自分で自分の技を磨き続けてきた人達がいる。そして、今いる職人さんたちは、先人たちから受け継いだものに加え、更に自分で自分を磨き続けながら作品を作っている。

それってすごいことだし、今目の前にある伝統工芸品の一つ一つが、そういった人の想いがつないで作られたものだと思うと、見ていてワクワクする。だからこそ、一度消えてしまうと、取り返しがつかない技術ばかりなのだとも思う。

とは言え、大量生産品で便利になった私たちの生活。伝統工芸品ばかりを買って生活するのは、なかなかに難しい。
月に一度、呉服屋さんで職人さんたちの話を聞き、目の保養をさせてもらうのは、私にとって至福の時間だった。けれど、欲しい!と思った物に出合った時に、買える額ではなかった。

ある時、結城紬の職人さんが来て、蚕を綿にし、糸をつむぐ体験をさせてもらった。結城紬は、茨城県が誇る織物だ。蚕から糸をつむぎ、着物になるまで全部で13もの工程がある。そして、日本の伝統工芸品というのは、分業制で作られていることがある。結城紬も、それぞれの工程に専門の職人さんたちがいて、複数の職人さんたちの技術の結晶が一つの反物になるのだ。その製作工程は、「ユネスコ無形文化遺産」に登録されている。

私がお会いしたのは、唯一、その全13工程を一人で行えるという職人さんだった。かなりのご高齢で、その職人さんがお亡くなりになったら、彼女の技を継ぐ人は誰もいないとのことだった。後継者不足の深刻さを垣間見る。

彼女が手掛けたお着物は、とてもおだやかなお人柄がにじむ、あたたかな風合いのすてきなものばかり。一つの着物の完成にかかる時間は、数か月、あるいは年単位。それなりの額の着物たち。高いけれど、全工程を考えれば、決して高くはない。でも、

……買えない。

気に入ったものがあっても、私の収入では購入できなかった。特に、コロナの影響で業務は減り、会社は国の休業支援制度を頼っている。ボーナスもない。今後の見通しもたたない。独り身で、一人っ子、親が死ねば頼りになるのは自身の収入のみという自分の状況。将来への不安も大きい。

職人さんたちの生活を支えるのは、作品が売れた時の収益。
職人さんたちの仕事に対する想いを考えると、自分が本当に気に入ったものと出合った時に買うのが筋だと思っている。けれど、本当に自分が気に入ったものと出合っても、買える額ではない物もある。

正直、辛かった。
――欲しいな……。
そう思った時に買えないのも辛かった。けれど何よりも、自分が欲しいと思った物を買うことで微力ながら職人さんたちのサポートができるかもしれないのに、それができない無力感。

徐々に、呉服屋に行くのが辛くなって、行くのをやめてしまった。

呉服屋に行くのをやめてしまい、数か月。
幸福学を学んで瞑想を始めたり、できるだけ自分の心に嘘をつかない日常を取り入れたりすることでだいぶ心は安定していった。ただ、コロナの状況は相変わらずで、私は自分の将来について何かしないと……と不安になっていた。
自分ができることは何か……と考え、投資について学んだり、マネーライフプランナーの資格を取って、自身のお金の使い方を見直したりしていた。
そんな春だった。上司が言った。

「このコロナの状況が続いたら、この場所は閉めて転勤してもらうことになるかもしれない。」

企業勤めである、ということはそういうことだ、と改めて思った。
どれだけ社長がいい人であっても、どうにもならない状況と言うのはある。会社の状況によって収入が今後減っていく可能性だってあるし、最悪の場合には仕事がなくなってしまうかもしれない。

収入源を増やすことを考えよう……。

薄ぼんやりと副業を考え始めていた私に、強くそう思わせた。
ブログ運営、アフィリエイト、色々と調べているところで私が出合った本。

この本が、私の方向を決めた。

Webライターになろう。

もともと書くことが好きだった。
学生時代は文芸部。趣味で自作小説を書いていた。社会人になってからも時間がある時には、書くことで自分の気持ちを整理することが多かった私。

ライターという仕事に就いたら、自分の経験を文にすることで、もしかしたら今辛い思いをしている人の役に立てるかもしれない……。必要な人に、必要な知識が届けられるお手伝いがしたい。

そして、日本の職人さん達のことを書くことで、もっと色々な人に知ってもらうお手伝いができるようになりたい。おこがましいかもしれない。けど、私一人が商品を購入するよりも、もっといいサポートになるような気がする。

決めた。
Webライターを副業にしよう。

そう思って、2021年の春に私は一歩を踏み出した。
そして、2021年秋。
私は、自分の目標を一つ、達成した。

たくさんの人の力を借りて、自著を出版したのだ。
自身の経験をもとに、人生を楽しむ自分になれる手伝いができたらと仕上げた一冊。

私はずっと、自分で自分が信じられず、自分は何もできないと苦しんでいた。
けれど、Webライターになろう、そう覚悟を決めて走り続けた半年間を振り返ってみると、ネガティブな自分よりも、色々なことを楽しんだ自分を多く思い出す。

Webライターになる、それは心から自分が好きなこと、興味があることに添って決めたこと。
不思議なことに、以前は自分がやりたいこと、自分の目標が分からずにずっと悩んでいたのに、今は迷わなくても目標を思いつく。

私の次の目標は、職人さんたちの話をストーリーにすること。そして、一人でも多くの人に、知ってもらうお手伝いをすること。
正直、その目標を達成するために、何をしたらいいんだろう……と今は手探りの状態。

以前は新たな行動に対して不安しかなかった私。それが、今では何も行動できない自分に不安を感じてしまう。
Webライターになる覚悟を決める前は、常に心が不安定だった。今の私は、自分にできるアクションは何かを考えることに必死で、あまり不安定になる間がない。

今、私は自分の時間が充実している、心からそう思う。
『自分の心に添った覚悟』って、私たちの人生を一層楽しませてくれるエッセンスの一つなのかもしれない。

次の目標達成のために、できることを一つ一つ積み上げていこうと思っている。

参考サイト:
https://www.city.yuki.lg.jp/page/page001668.html


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