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【衝撃の事実】自分の仕事は、日本没落の象徴だった

■実は自分も日本没落に加担していた(´;ω;`)

 筆者の現在の仕事は、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)といって、主に大手企業から業務の一部を受託しています。

 委託元の企業は、コスト削減(=株主利益最大化、人減らし)のために、管理業務などを外部委託する流れが続いています。

 BPOには、すでに10年近く関わってきました。このビジネスモデルが、日本経済を壊していくものであるということに、今さらながら気づいてしまいました。

■株主しか見なくなった日本企業

 筆者が就職活動をしていた(1995年)頃は、バブルが崩壊し、日本の伝統的な経営スタイルである年功序列や終身雇用が崩れ始めた時期でもありました。

 このあたりから、金融ビッグバンをはじめとする規制緩和が横行し、外資参入が加速。日本企業も欧米型経営への移行を余儀なくされました。この頃から、BPOビジネスの源流とも言える人材派遣業(ヒト=商品として扱うビジネス)も広がりを見せ始めました。

●「日本型経営」と「欧米型経営」の比較

 日本型経営は、終身雇用・年功序列的な雇用体系が特徴。一方で、欧米型経営は、短期雇用・実力主義的な雇用慣行です。

 定年まで一つの会社で勤めあげるのを前提する日本型に対し、欧米型はリストラされるリスクもあるけど、もっと条件の良い会社があれば、積極的に転職していくのが特徴です。

 従業員のための会社という意識が強い日本型と、会社は株主のためにあると考えるが欧米型。また、合議制などで慎重さを重視する日本型経営と、スピードを重視する欧米型経営。

 長期の視点で社員や事業を育てる意識を持つ日本型経営と、買収・売却まど効率を重視する欧米型。

 以上をカンタンにまとめると、こんな感じでしょうか。

・日本型経営:
長期的、集団意識、プロセス重視、安定志向

・欧米型経営:
短期的、個人主義、結果重視、チャレンジ志向

 よくも悪くも、独特な価値観をもった日本的な経営が否定され、コスパ重視の欧米型へと舵を切っていくのでした。

ハゲタカの襲来

■突然給料が下がった1997年

 筆者は最初に、あまり筋のよくない金融会社(ノンバンク)に入りました。すぐに財務部門に抜擢され、銀行などの金融機関の担当になりました。会社のカンバンを背負って、資金調達する仕事です。

 それなりに評価され、入社2年目にあたる1996年の冬のボーナスは、結構な額をいただきました。このまま給料が上がっていけば、そこそこいい暮らしができそうだ、とほくそ笑んでいましたが・・・

 翌1997年、急に潮目が変わりました。大手の銀行や証券会社の倒産が相次ぎ、世の中が騒がしくなってきました。

 悪夢の月といわれる11月の前半、筆者はのんきに長期休暇を取って、南の島で遊んでおりました。出かける直前に三洋証券が破綻、帰ってきたら拓銀がつぶれ、直後に山一証券が自主廃業しました。

遊んでる場合じゃなかった

 銀行も貸し出しを渋るようになり、勤めていた会社も給料を抑えるようになりました。日本の実質賃金はこの年を境に、下降を続けています。

 同年、消費税が3%から5%に引き上げられ、これが現在も続くデフレの主犯と言われています。

■得体のしれない何かに追い詰められ、転職を繰り返した

 2000年代に入ると、ますます給料は下げられ、未来を描くことも難しくなりました。「漠然とした不安、不満」を感じながらも、その正体がわからず、悶々と暮らしていたのを覚えています。

 環境を変えようと、六本木ヒルズに本社を構える某ベンチャーへ転職をしました。給料は下がりました。ここで働いている数年間で、精神が壊れていくのを感じていました。

 得体のしれない不安は消えないまま、次はメーカー系IT企業に転職しました。運よく給料は上がりましたが、精神的に不安定な状態は続いていました。古い体質の社風に耐え切れず、逃げ出しました。

 1社目の金融会社、2社目のベンチャーは、どちらもすでにこの世にはありません。「漠然とした不安、不満」はこんな未来を予感していたのかもしれません。

■サラリーマンに見切りをつけて起業するも挫折

 3つの会社を経験し、もうサラリーマンがいやになりました。何か自分でできることはないかと考え、たどり着いたのは学習塾でした。資金もノウハウもなかったところに、資金とノウハウを持った人と出会いました。

 自宅近くで学習塾を新規オープンしたまではよかったのですが、思った以上に生徒は集まらず、やがてオーナーと意見も合わなくなり身を引きました。

 もう、なにをやってもダメ。

 何度目かの転職活動をスタートしましたがなかなか決まらず、徐々に焦り始めていたころ、ヒルティの『幸福論』の一説に目が留まりました。

最大の不幸は、仕事を持たずに、一生仕事の成果を見ることができない人生であるということです。

■そして、たどり着いたBPO

 ヒルティ先生の訓示に脳天を貫かれ、「何でもいいから、まずはやれる仕事をやろう」と腹を決めたのでした。

 最初は、今すぐにでも働ける短期アルバイトを見つけました。運送会社の繁忙期の夜勤の仕事でした。4日間で5万円。次に目に留まったのが、BPOスタッフの仕事でした。時給1500円。

 この仕事が肌に合ってしまい、就職活動の不調も相まって、そのまま社員として登用されました。そして、10年が過ぎようとしています。

■BPOはダレトクなのか?

 大手企業はBPOを活用して、正規雇用を減らしています。長期的に人を育てる文化は崩れていきます。欧米化です。また、業務を切り離してしまうため、社内にノウハウが残らず、会社の体力は低下します。

 受託する側も人が足りずに、二次請けに出すケースも多々あります。下流に行けば行くほど、給料は低くなります。こうして、日本全体の賃金を減らしています。

 最先端で働く人たちも、安い給料ではモチベーションも上がらず、業務品質は下がります。果たして、このBPOの仕組みで、幸せになる人はいるのでしょうか?

■止められない流れの中で思うこと

 いろいろと気づいてしまいましたが、目先の生活を考えると、すぐに辞めるわけにもいきません。こんな不遜な人間でも、必要としてくれる人もいます。

 一人では止められない大きな流れの中で、できることは何か?真剣に考えている今日この頃です。

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