嬉しかった話、、、

何を書こうという気もなく、

ただ文章をつむいだあいつが羨ましく、

私だってと筆を持った、だけの記事。


今日はさては、読点が多いな。

読みやすいでしょ?

読点で私は息継ぎをしている。

みんなもそうするといい。


読点が多いのは昔からの癖だ。

小学生の頃、毎日の宿題に、五十音日記、というものがあった。

はじめの1文字目の音が指定されているのだ。

昨日は『き』。今日は『く』。明日は『け』。

『を』は除外されてたんだったかな、どうでもいいか。

1枚の、灰色の、200文字くらいの原稿用紙を、私達は苦心して埋めた。

提出したその紙は、数日ごとにまとめて、先生の添削と短い感想と共に返却される。

私はよくそこに「読点が多い」と赤字でかかれていた。

不思議でならなかった。

私は心の中で読んだときに、ウン、と一息置くところに、読点を打っている。

これがないと息継ぎできないのに。

でも、そんなつまらない指摘ばかりされても、つまらない。

注意は、ゼロにこそできなかったが、減らした。減った。


大学生になった頃、初めて太宰治の書き物を読んだ。

彼の随筆は、読点だらけだった。おんなじだ。

でも彼の小説には読点は少ない。いわゆる普通の、おもしろい小説。

でも随筆は、なんとまあ、読みやすい。

きっと彼も息継ぎをしながら、文章を書いている。

随筆みたいな、彼の心を吐露するような場では、彼はああやって息継ぎするんだ。

おんなじだ。うれしい!


それがなんだって?ただの嬉しかった話だよ。

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