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女風ダークアカデミア 第1話 クレオパトラの夢7

 古い洋館のすべての部屋と廊下のモップ掛けを終えると午後三時を越えていた。汗でベトついた身体をシャワーで洗い流し、ジーンズとパーカー、ウルトラライトダウンのジャケットに着替えて、黒い皮張りのソファーに座ってはみたが、このアンティークな洋風のインテリアではファストファッションではいまいちカジュアル過ぎてフィットしない。こういう洋風の古めかしい屋敷で、気持ち重くて暗いインテリアの生活の中でフィットする洋服って何だろう?化学繊維よりもウールやコットンの素朴なもののほうがしっくりくるかもしれない。平成からある白い壁で、北欧風の飾りっ気のない家具がおしゃれだと言われて、疑いもなく信じ切っていた。ユニクロなどのファストファッションがすべての世の中で、シンプルという言葉を無理やり修飾語にして、安っぽいわりに押し出しだけが強い既製品の世の中しか僕等は知らない。いやそれしか知ろうとしない。実はそれって単なる貧しいだけで、ペラッペラな情報に踊らされているだけなのは薄々感じている。今いる空間は、そういう無理やりの修飾語の世界とはまったく異なり、自分の存在が浮きまくっているように思う。なにかこの屋敷に試されているような気さえしてくる。リビングの端に置いてある本棚の上に、真鍮製の古い蝋燭台が置いてあり、思わず手に取ってみた。重量感のある黄金色の台座から唐草模様の支柱が三本伸びていて、蝋燭を三本固定できる台座を支柱が支えている。彫ってある髑髏の模様が、黒く変色をしていて、退廃感とアンティークさを際立たせている

 「もしこの燭台を照明にして、食事をしてみたらどうなるかな?」
 右手にずっしりとした金属の重みを感じて、テーブルの中央に置いてみると殺風景だったテーブルが、にわかに色づき始めた。色づくといっても、決してカラフルではなく、漆黒の闇の中、鈍い光を受けて誰も知らない場所でひっそりと咲く1輪の薔薇を想像した。けして日の当たる場所で華美に咲く訳ではないが、人知れず妖しく咲いて散っていく薔薇。蝋燭の灯に照らされた影が、ゆらゆらと壁に薔薇の影が揺れている。女風の仕事なんて、人に見せられない欲望を、誰にも邪魔されない環境でひと時解放して、その一瞬に灯をあてるような商売だ。そして何もなかったかのようにまた日常に戻っていく。食事と性、密かな欲望を解放する瞬間にけして強い光は必要ない。むしろ淡く揺れているくらいがちょうどいい。

 「灯りはぼんやり灯りゃいい」
 誰かの唄の歌詞にこんなのがあったような気がする。


 しかしこういう世界観のインテリア、エクステリアの生活ってなんて呼べばいいのだろうか?ふと疑問に思ってネットで検索し始めた。

 「ダークアカデミア?なんですかこれ?」
 しばらく検索して、不思議な言葉の組み合わせの記事を発見した。ダークはわかる。暗いという意味だ。アカデミアも学術とか研究みたいな意味合いなんだろうと辛うじてわかるが、なんでこの二つの言葉がくっついているのか不思議だった。

 「なになに、コロナ架で学校に通えなかった学生が、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパの文化や大学に影響を受けて、ヴィンテージのファッションや古典文学や絵画、詩などに影響ている。かぁ・・・」

 なるほど、コロナ架で学校に行けなくて、理想の学生生活を思い浮かべたら、ケンブリッジやオックスフォード。一番ビジュアライズしやすい光景はハリーポッターだよなと思う。誰だってこんな校舎で学生生活を謳歌したいって思うよな。勉強はしたくないけどね。

 「それらがゴシックなどの歴史的な建築物やインテリアと、現代のコロナの閉そく感と結びついて、退廃的な雰囲気を醸し出している・・・と」
 この記事はダークアカデミアについてこうまとめている。
 

「籠って美に耽っちゃってるわけだ・・・。耽美ですな」
 耽美という言葉を使ったら、さっきガレージの中で見たジャガーXJを思い出した。低い屋根にすっと伸びるように前に突き出したフロントノーズ。レザーとウッドでむせ返るような内装あれこそ耽美な工業製品の典型的な例だと思う。このダークアカデミアについて書かれた記事をとりあえずブックマークした。とにかく食料がないので暗くなるまえに買い出しにいこうとグーグルで近所のスーパーを探すと、ここから5キロほど離れたところに大きな地元のスーパーを発見した。レビューには軽井沢らしく高級食材も手に入るらしい。これからここでだす料理の試作も早くしてみたいので車のカギを手にして外に出ると、日が陰ってきて気温が徐々に下がりつつあった。一瞬吹いた春の強い風はまだ冬の名残を残していて、氷のような冷たさで僕の頬を撫でていく。僕は寒さに身を縮めると、ウルトラライトダウンのジッパーを首まで締めて、ニットの帽子を深くかぶり直した。


 プジョーに飛び乗って長い下り坂を駆け下りて国道を西に向かう途中、赤信号で停車した。陰りゆく空を見つめながら、ここでの店舗名は「ダークアカデミア」がいいんじゃないかと思い始めた。女性の欲望をアカデミアして、蝋燭の灯りで、若い男と大人の女がひっそりと性と食に耽る。悪くない。信号が青に変わったので、クラッチを踏んで、左の手のひらでシフトをニュートラルから一速に入れ、踏み込んだ左足をゆっくりと上げると、エンジンの駆動が伝わった車はゆっくりと動き出し、夕暮れ時の渋滞の中青いプジョーはあっという間に見えなくなった。


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