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【小説】キッシュが冷たくなるまえに(第14話)

「どうした、なんで動かない?」
 美穂は指先でハンドルをタッピングし続けている。車は渋滞にはまって動かない。備え付けのデジタル時計は10時30分を表示している。
「もしかして事故渋滞か?」
 とつぶやいた美穂のタッピングがさらに激しくなった。
  僕は膝上の段ボール箱を抱えて途方に暮れている。
「抜け道はあったっけ?」
 美穂の質問に、両手のバッテンで答えた。

「いやぁ、ここからの抜け道はないよ。この国道をもう3キロほど進んだスーパーのある交差点からなら迂回はできるだろうけど、どう考えてもそこまでたどり着かないよね。あと3キロ進むのにどれだけ時間がかかるか・・・」
 なだらかな曲がり道が続く海岸線の国道は、市中心部に向かう長い車列が続いている。明らかに動きそうにな気配はない。20年以上前の車でカーナビすらない。スマホで渋滞情報も探してみたが情報はない。
「ランチが始まるのが11時30分。あと1時間しかないよ。とりあえずミカさんに連絡して、こんな状況だと伝えるわ」
僕はLineでミカさんに状況を説明し、とりあえず理解を得た。最悪キッシュなしでランチを始めると言ってくれた。だが、僕らは最善を尽くして納品する。
「せっかく私が頑張って作ったのに・・・」
美穂の今朝の努力は無駄にしたくない。自分にも責任がある。
「もう埒があかないので、反対車線を走って山道経由で隣の市にでて街中まで出るのはどう?ちょっと距離あるけど」
今自分が考えられる唯一の案を言ってみた。

 海岸線の国道をもとに戻って、棚田のところにある分かれ道から、古い旧道のワインディングを走る。そこから隣の市にでて、環状線に入ればミカさんの店には到着できる。ただし、ぶっ飛ばして時間を稼げるのが古い旧道のみだ。

「よし、その案に賭けよう」
 美穂はハンドルを急に右に切って車をUターンさせた。プジョーの車体は遠心力で左に大きく揺れて、思わずドアの上のアシストグリップを左手で強く握りしめる。その瞬間、右手の握力が抜けて段ボール箱が手から離れた。スローモーションのように箱が手から離れてゆく。こんどは揺れ戻しで右に激しく振られて、箱を握り返すことができないと観念した瞬間、なぜだかふんわり元の状態に戻って、右手は箱を捉えていた。

「勘弁してよ、キッシュ落としそうだったよ。Uターンするなら言えよ」
と抗議したが、美穂は一瞬横目でこちらを見ただけで、サンバイザーからサングラスを抜き出してかける。無言のままアクセルを踏み込むと、タイヤは白煙を上げ、車は国道を東に向け猛スピードで消えていった。

「翔太、運転変わって」
 美穂が突然言い出した。
「あそこの幽霊トンネルは絶対に運転したくない」
 美穂は車をスローダウンさせて路肩に止めた。
「いや、落ち武者の霊なんてでないよ、心配すんなよ。リングで貞子がテレビから出てくるの見てゲラゲラ大笑いしてた人が何いってんの?」


 あの貞子が井戸から出てきて、さらにテレビ画面から出てくるシーンを見て、小学生だった僕は正直ちびった。だだもれだった。忘れられない思い出だ。あのトンネルには伝説があって、トンネルを抜けようとすると、車のエンジンが急に止まり。落ち武者があらわれて・・・。こんな話がネット上に無数にあり、夏場は地元のバカどもが肝試しで集まってくる。そんなどこの町にもある心霊スポットである。

「元走り屋でドリフトまでやってた姉ちゃんが、あそこの旧道をドリフトで駆け抜けるの見たいよ」
 ちょっとおだてて様子を見た。
「もちろん私のほうが運転が上手いのはよくわかってる。でも、ダメなのよ、落武者が・・。」
「もしかして、見たとか?」
美穂は無言をつらぬいている。表情はサングラスでわからない。いったいこの人に何があったんだ、姉の変わりように言葉もない。

 時間が一刻一刻と過ぎてゆく。説得をあきらめて、僕はしぶしぶ運転席に座り、シートベルトをカチッと閉めた。


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