初めて見るじいちゃんの元気のない姿、困惑と感謝と願いと


実家に来ている。

15時くらいから藤沢じじばばの家へ、飲み会までお話しに行く。

入っても物音一つしない。居間に入ると聞いていたけどリビングにはじいちゃんのための介護ベッド。その脇にじいちゃんは座っていた。

じいちゃんが弱っているとは聞いていたけど、思っていた以上に弱々しくなっていて、見た目もかなり痩せている。会った瞬間、いつもなら笑顔でおおと言ってくれていたけど全く。最近気力がなくて、話す気も起きない、と。

どう接していいかわからない。ただ驚き、動揺した。悲しいとも寂しいとも言えない感情。ただどう動けばいいのか分からない。

年末にあった時は今までと変わらず元気だったのに、ここまで変わってしまうものなんだ。今年の1/30で確か92歳を迎えたじいちゃん。老いていくのは当然だとしても、こんなに元気がないのは初めてみる。記憶にある限りはずっと元気で、接し方も変わっていなかったから。

あって刹那で大切な人の死というものを近くに感じてしまい、形容し難い。

ばあちゃんは散歩に出ているようでいない。じいちゃんは、自分は気力がないからばあちゃんは元気だから少し待ってな、と言う。そんなこと言うなよって思ったけど、相手の気持ち、状態がわからない故に言えない。飲み物を淹れることをついでにこころを整理する。

とりあえず、話そう。そう思って、優が大学一つ合格したことや、仕事で公園計画をやってて来るまでになかむら公園をみてきたことなどを話す。返してはくれるけど、無理をしているのが分かる。分かったから無理な話を紡ごうとはならなかった。ただ世間話をする。

少し経ってばあちゃんが戻ってくる。ばあちゃんはじいちゃんと言い合いすることがいつもだけど、心配している。俺が今日元気ないらしいと言うと、最近いつもだよって。

ばあちゃんと3人でベッドで話をする。優の受験の話とか。少し話して、リビングでばあちゃんと2人で話す。色々話す。じいちゃんは体調が悪いと言う訳ではなく、精神的に落ち込んでしまっているらしい。精神科にも26日に行ってくるらしい。最近じいちゃんの弟のカンジさんが亡くなったことが大きいらしい。そりゃそうか。遼が俺より先に死ぬみたいなもんだもん。

ばあちゃんは常にじいちゃんは何もしてくれていないと思っていたらしいけど、動けなくなって意外とやってくれていたことに気づいたそう。洗濯だったりの家事を。今気づけて良かったね、ってこころで思う。じいちゃん、すぐに死ぬなって気持ちは当然あるよ。だけどそういうのを相手が生きているうちに気づけたのは本当に良かったと心から思った。

ばあちゃんとカワセミの話、来る時で小川の河川改修していた話をする。リモコンが使えなくなっているらしいからAmazonで注文してあげた。

しばらく経って、お酒を飲みにじいちゃんがリビングに来る。元気はないけどお酒は飲んでいるらしい。48mmだけいいちこついで、チョコをつまみに呑んでいる。無理には話しかけないで、しばらくばあちゃんと話し続けていると少し元気が出てきたよう。

インド行く話、大谷翔平の話とか色々とかした。少し笑ってもいた。1時間弱3人で話す。今まで実家帰ってきた時過ごしていたこの時間の大切さが今になって分かる。心から。そして、少し元気な姿が見れて良かったし嬉しかった。

最後いつも通り握手をして、ばあちゃんの自転車を借りる。これがきっと最後ではないと思うけどそれはわからない。そう願いたいし、願わせてくれ。目を見て別れを告げる。17時過ぎ。

当然今は飲みべは全く無い。電車で音楽を聴く気にもならない。ただこれを残さないと気が済まなかった。町田に行くまでひたすら書いた。

飲み会から帰宅。帰りの自転車、寝る前にじいちゃんとの思い出を振り返る。かなり遊んでもらい時を過ごしてたな、と。

トトロの森で小エビ、サワガニ、タニシ、ヤゴ、ホトケドジョウ、オニヤンマを捕まえたこと、
じいちゃんが川の奥の方に繰り出し捕まえてくれたこと、
遼と親水公園までの道中の畦道を散歩したこと、牛小屋あたりを通りザリガニとかを探しながらひたすら歩き、最後にデカビタを買ってもらい飲んだこと、
酒匂川でじいちゃんの背中に乗って川を泳いでもらったこと、石をジャンプしながら渡ったこと、
山田公園の砂場で遊んだこと、俺は覚えてなかったけど水の流れを作って流して遊んでたらしい、複合遊具でサスケごっこしたこと、それを見守るじいちゃんの姿がなぜか覚えている、自分は必死に遊んでただけなのに。道中でいつもじいちゃんが頭を低い屋根にぶつること、じいちゃんのタバコで火傷したこと、道中で栗を拾ったりしたこと、
デンデンムシ橋の先の方か忘れたけどダンゴムシを触りに行ったこと、
じいちゃんの寝室でごっこ遊びしたこと、ベッドを船に見立てて冒険したっけ。わずかしか記憶にないけどまじで楽しかったことだけは覚えてる、
ぼうずめくりで遊んだこと、
力こぶにいつもすごいなとなっていたこと、
山田公園の近くのお祭りに行ったこと、
さば神社でどんぐり拾いしたこと、これは母さんもいたっけ、
小田原の家で一緒に花火を見たこと、俺は怖がっていたらしいけど覚えていない、
親水公園の沼地でスルメを使ってザリガニ取りしたこと、フナを取りに行ったこと、
釣りの話をしたら喜んでいたこと、
仕事先の記事CMがあると嬉しそうに報告してくれること、
いつもよる時は無限に話せたこと、
別れ際には握手をして固い手だということ、これはばあちゃんもだけど

いろんなことしたし、遊んで、見守ってくれた。ばあちゃんと3人で話すことも多く色々話した。ただ思い出して文章でのこさないと忘れそうで怖くなった。

前に話した時に俺が小さく一緒に遊んでいた頃が人生で1番楽しかった時期と言っていた。俺ももちろん楽しんでいたけど、そんな風に思ってたとは知らなくて驚いた。

俺の人格形成に大きく良い影響を与えてくれたと確実に言える。こころから感謝。その気持ちしかない。

ただ、まだだよ。まだ生きて欲しい。
俺はそう思う。

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