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春をコケて

(1535字)
こんばんは。ベストフレンドという4人組漫才師のボケを担当しているけーしゅーです。
note毎日投稿76日目の今日木曜日は、
まだ冬の気分でいたぼくに、近頃、奇襲攻撃を
しかけてきた卑怯な花粉のせいで、その訪れを
感じざるを得ない春について書いていきたいと
思います。

春といえば、何を思い浮かべますか。
愚直に、出会いと別れの季節でエモいなぁとか
思っちゃったりしてます?
ぼくはしてますよ。だって春めちゃくちゃエモい
じゃないですか。
ぼくは春が四季の中で最も人の笑顔が多い季節だと
と思っています。

学生で言うと、受験生は、1〜2月で受験勉強が
終わって、受かった人はもちろん、受からなかった人も4月までいったんバカンスするし、
普通の学生は、クラス替えがあったり、部活に
後輩が入ってきたり、まさに心機一転の季節です。

大人で言うと、仕事が上手くいって昇進したり、
逆に、降格したり、移動になって田舎に飛ばされたり、きっといろいろあるけれど、とりあえず桜が
咲いてくれるおかげで、花見という名目で昼から
酒を飲める口実が生まれる季節です。

このように社会では、1月1日の年始よりも
むしろ、春の方をスタートラインとして捉えている
ので、まさに人間活動の終わりと始まりの季節で
あり、笑顔が生まれやすいのだと思います。

ただ、最も人の笑顔が多い季節というのは、
逆を言うと、最も人が深く孤独を感じる季節
でもあります。

春が成就して、春のその先が決まっている人の
笑顔や、日常をありがた迷惑なほど無邪気に
華やかにする桜。
この類の、希望に満ち満ちた春の表情は、時に
前進する世界と、止まっている自分とを対照的に
浮き彫りにさせ、恐るべき比較対象として、
春をコケてしまった人の心をさらに淀ませ
強い孤独や、疎外感や、生きづらさを生んでしまう
こともあるのでしょう。

というのも、ぼくも、一回だけ春をコケたことが
あるので、その時の気持ちを知っています。
今思えば、別に何でもないことだったのですが、
当時は、町中華でひとり昼飯を食ってた時に
隣の席に座って来た、新小学1年生の新しい黄帽と
ランドセルを身にまとった子にさえ、
春の嫉妬を覚えました。
スプリングジェラシーと、そう呼んでいます。

コロナのご時世になって迎える3回目の
今年の春も、さらにそんな気持ちを抱く人が
増える春になると思いますが、
安心してください。春はすぐに終わります。
春が終わったら、すぐに華やかに見える
世界は消え、ただの、日常に戻ります。
そして、次の春が来た頃には、そういえば
おれ、去年コケてたのか、になって、
また次の春には、あれはコケてたんじゃなくて
別の景色を知れたのか、になって、
そのまた次の春には、あの時コケておいて
良かったのかもしれない、になって、
その次の、そのまた次の春には、
コケる段差に自ら足を引っ掛けて、
「ちょっと、誰よー、こんなとこに、ブロック塀
置いたのー」と言って、9転び2起きのペースで
お尻を雑にパンパンしながら、立ち上がれるように
なっているかもしれません。

そうなってしまえば、春とは全員一緒の
スタートラインでもなんでもなく、
ぐるぐるバット同様、障害物競走のただの通過点
であるということを知る訳です。

高校の時ぼくは毎年、徒競走ではなく、
障害物競走にエントリーしていました。
流暢に、障害物をくぐり抜けたトップランナーには、観衆の目は止まりません。
このレースでは、コケた時に笑いが生まれるのです。
だから、はなから1位なんて目指さない。
逆走して、小麦粉を被って、大げさにコケて、
倒れながらも、90度傾いて見える世界にあった、
純粋なたくさんの笑顔のために、ぼくはコケる
というレースも信じていけます。

#ベストフレンド #漫才#なんやかんや、春はコケない方がいい

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