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忘れないことぐらいはできる。〜後藤浩輝「後藤の語!」を読み返した。
2月末は、競馬ファンにとっては別れの季節。
騎手や調教師の引退時期である。
今年は何と言っても福永祐一騎手の引退は大きく報道されたし、調教師に目を移しても、サイレンススズカ、アドマイヤベガなどの橋田満調教師や、騎手時代にはナリタブライアンの主戦だった南井克己調教師ら、一時代を築いたホースマンが勇退する。
(そういえば、サイレンススズカ唯一のG1勝利である宝塚記念の鞍上は南井騎手だったな・・。引退のタイミングが同じとは、不思議な縁なのかもしれない。)
先日、日本での騎乗が最後となる福永祐一騎手は、多くの騎手仲間に囲まれ、ひとりひとりと握手を交わし、来場したファンに別れの挨拶をしていた。
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この騎手仲間の輪にいて欲しかったと思うのが、2015年2月に他界した後藤浩輝騎手。
自殺であった。
競馬に親しんできて、最もショックを受けた出来事だった。。
真相はわからないけれど、当時、公私にわたって親しかった福永騎手は、落馬事故による怪我の後遺症か、かつてのように馬を御することができなくなっていた後藤騎手に対して、騎手を続けるのは厳しい、辞めた方がいいですよ、と切り出そうか、悩んでいたそうだ。
結局言いそびれてしまったそうで、悔やんでも悔やみきれないことだろう。
訃報を聞いてからの心痛やいかほどだったか・・。
久々に後藤騎手の著書(「後藤の語!」)を手にとり、ページをめくったところ、こんな一節が目に入った。
前年の安田記念優勝後、燃え尽きた彼は引退し、世田谷にある馬事公苑で乗馬となり、余生を過ごしていた。俺も彼の姿をひと目見に行かなければ、とずっと思っていた。しかし、近くにいるという安心感と忙しさから、その行事の順番を常に後回しにしていた。そんな矢先の出来事だった。
中山へと車を走らせていた夕方、ふと立ち寄ったコンビニの駐車場。携帯のニュースで彼の訃報を知った。
『ショウワモダン窒息死』
俺は目を疑った。脚の故障や病気でもない。「窒息死」という今まで見たことのない死因に信じられない気持ちでいっぱいになった。
ショウワモダンは、後藤騎手が2010年の安田記念を制したときの相棒。
その突然の死に、信じられない気持ちになったことを綴っている。
・・まさかこの5年後、後藤騎手自身に、多くの関係者、ファンの目を疑わせる出来事が起きるとは・・。
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この本は、後藤騎手が亡くなった翌年に出版され、福永騎手があとがきを書いている。
後藤騎手が亡くなり1年が経ったが、「自分が考えていた以上に彼(後藤騎手)のことを思い出す日々が多い」と書き、後藤騎手の仕事に対する誇り、騎乗技術に対する研鑽、そして誰よりも熱心なファンへのサービスについて敬意の念を表し、最後にはこう書いている。
後藤さん、そこにいるんでしょ?
ちょいちょい俺のそばに来ているのは感じていますよ。
寂しいのはわかるけど、俺は後藤さんのぶんまで人生を全うしますんで、もうしばらくそっちで待っていてくださいね。
では、いつかまた。
福永騎手の先日の東京競馬場でのファンへの挨拶は、いつも以上にファンに対しての感謝のメッセージが強かった気がする。
あのとき、福永騎手のそばに、ファン愛が誰よりも強かった後藤騎手も来ていたのではないだろうか・・。
福永さんは、調教師としても後藤さんの分まで人生をまっとうするだろう。
いち競馬ファンとして引き続き応援したいし、後藤さんについても、youtubeなどで「後藤 ひよこ」などと検索すれば、得難い個性をもった彼を思い出せる。
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(もちろん、愉快なインタビューだけでなく、ユーセイトップランと制した2000年のダイヤモンドステークスを始めとした、名騎乗の数々も忘れ得ない。)
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