見出し画像

競馬から離れ気味の五年間。〜競馬歴_2001-2005

勝手に自分の競馬歴をふりかえるシリーズ・・。

前回は、2000年を振り返りました。

前回まで一記事で一年ずつを振り返ってきたのですが、今回の記事では、2001年から2005年の五年間をまとめてふりかえり

我ながら雑ですが、この期間、日本にいることが少なく、あまり真面目に競馬をやっていたとは言えず。

ただ、主要なレースは追いかけていました。

一年ずつ、ふりかえってみたいと思います。


2001年・競馬ファンと言えたのか、の年。


2001年は、競馬を始めてから、おそらく、もっとも馬券を買っていない一年。

どんな一年だったかというと、クラシック世代が華やかですね。アグネスタキオン(皐月賞)、ジャングルポケット(ダービー)、マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念)。ほかにも、二刀流・クロフネもこの年ですね。


この年のダービーを見直してみたのですが、

見ながら、「重馬場だったか・・」と思う始末で、相当記憶が薄い。

やはり、馬券を買った覚えがない。(あるいは、買ってたけど大外れで、記憶から消しているか・・)。

牝馬ではテイエムオーシャンが強かった年ですね。


この年を見逃したのは、自分の競馬歴としてはけっこう痛恨というか・・。

というのも、上述の牡馬たちは、種牡馬となってからかなり成功した馬が多く、後に馬柱の「父」や「母父」のところにばんばん名前が出てくるんですが、現役時代をしっかりと見ていないので、予想する上でイメージが湧きづらいんですよね・・。

あとは、この年は香港でステイゴールドが念願のG1(香港ヴァーズ)を勝ちましたね。このレースでステイゴールドは引退。

今思うと、ステイゴールドの引退で、自分の競馬ハマり黎明期が終わったのかも。


2002年・タップダンスシチーよ、ありがとうの一年。


続いて2002年。

この年も、自分は競馬ファンと言えたのか、かなり微妙な一年。

シーズンを通じて、ほとんど馬券を買っていなかったのですが、暮れの有馬記念は参戦しました。
本命か対抗を人気薄(13番人気、単勝86.3倍)のタップダンスシチーにして、20万円ぐらい勝った良い思い出があります。

なんで買えたのだろうと思うのですが、野村克也さんの名言を思い出してしまいました。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」

まあ、連勝中の三歳牝馬ファインモーションの1番人気はちょっと怪しいんじゃないかな?と思えたのは覚えていて、我ながらいい着眼点だったと思うのですが、それにしてもタップダンスシチーをなぜ狙えたのかは、よくわからない。(おそらく、当時の自分も大した根拠はなかったのでは。)

いまだにときどき見返します。

この年の他の主だったレースについては、クラシックがずいぶん荒れていた印象。ノーリーズン(皐月賞)、タニノギムレット(ダービー)、ヒシミラクル(菊花賞)、アローキャリー(桜花賞)、スマイルトゥモロー(オークス)。
秋華賞はファインモーション。(これは固かった。)

今、2002年の日本競馬、というWikipediaを見ると、8月にサンデーサイレンスが亡くなったり、11月にはナリタブライアンを生産した早田牧場が自己破産を申告したりと、暗いニュースも比較的多かった一年だったかもしれません。


2003年・またしても不真面目な一年。


この年もあまりちゃんと参戦しなかった、不真面目な競馬ファン(≒真面目な社会人?)でした。

ダービーを見返してみると、

2001年に続いて、「重馬場か・・」と思ってしまいました。

やはり、たぶん、買ってない。

もちろんネオユニヴァースが勝ったのは知っているので、道中ずいぶん後ろにいたんだなあ、ということと、4コーナーを回って直線に向いてくるところ、「みんなずいぶん外に行くんだな〜。」と思いました。

ネオユニヴァースのコースどりが絶妙で、内にいたと思ったら、直線では馬場の真ん中を伸びてきて。2017年の天皇賞・秋のキタサンブラックみたいだなと思い、天皇賞のビデオも見返してみたのですが、こちらは馬場がかなりびちゃびちゃ、それもそのはず、ネオユニヴァースの上がり3ハロンは35.3、大してキタサンブラックは38.5でした・・。

あと、このレース、田中勝春騎手が2番人気(単勝3.6倍)のサクラプレジデントで参戦していたんですね。当時32歳。ダービージョッキー・勝春は、見たかったな。。まだ現役だけど、今後チャンスがあるかどうか・・。

牝馬路線は、スティルインラヴが幸騎手とのコンビで見事三冠牝馬に。相手が弱かったわけではなく、アドマイヤグルーヴがいたのだから、凄い事だと思います。

あとはこの年、テレグノシス・ローエングリンのコンビでフランスのマイルG1路線に挑戦しているんですね。

8月のドーヴィル競馬場のジャック・ル・マロワ賞はテレグノシス(勝浦正樹騎乗)が3着に頑張り、9月のロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞では、今度はローエングリン(後藤浩輝騎乗)が見せ場たっぷりの2着。

この2頭は、かなり競争生活が長かったので、のちに自分がまた真面目に(?)競馬をやり始める頃にも走っていたので、印象に残っています。

年度代表馬は秋の天皇賞と有馬記念を勝ったシンボリクリスエスが二年連続で選出。春シーズンは前年の菊花賞馬・ヒシミラクルが天皇賞と宝塚記念をぶっこぬき、ヒシミラクルの「単勝転がし」で話題になった”ミラクルおじさん”もいましたね。


2004年・もっとも関心が薄れた一年。


この年の牡馬は大豊作で、皐月賞馬ダイワメジャー、NHKマイルとダービーを勝ったキングカメハメハ、ダービー2着のハーツクライが種牡馬としても大成功。

翌年にディープインパクトが登場したことでやや印象が薄まってしまった感じもしますが、キングカメハメハのダービーは強かった。

鞍上の安藤勝己騎手は、どう乗っても勝てる、というぐらい自信を持っていたそうです。(ただ、大外から伸びてくるハーツクライの差し脚も強烈。)


この年の秋は、古馬王道シリーズ(天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念)をゼンノロブロイが全制覇


ただ、個人的なことで言うと、競馬に対して”もっとも興味が薄れた”のがこの年だった気がします。

それでもG1は追いかけていたとは思うのですが、ちゃんと競馬を見てこなかったせいで、G1ですら知っている馬が減ってきて、どうしても関心が薄れてしまった感じでした。

まあ、この年は”春はキンカメ”、”秋はロブロイ”、と言う一年?(雑)。


2005年・ディープのおかげで競馬熱が蘇った一年。


この年は、徐々に参戦がまた増えてきたようで、パソコンの中にも、競馬場でとった写真が眠っていました。

2005年10月、東京競馬場(毎日王冠)


こちらは、スイープトウショウやバランスオブゲームが写っている、毎日王冠のパドック。(勝ったのはサンライズペガサス)。

やはり、根がミーハーなのか、無敗の三冠馬・ディープインパクトの出現により、競馬熱が戻ってきたのかもしれません。

でも、前に記事でも書きましたが、ディープインパクトを競馬場で生で見られたのは、翌2006年のジャパンカップのみ。

この年、2005年の三冠レースなどは、競馬場での生観戦はできませんでした。惜しいことをしたな。。

ただ、ディープとの馬券の相性は悪くなく、有馬記念はディープインパクト流しで、本線をハーツクライにしていたので、当てることができました。良い思い出。


この年は、福永祐一騎手の活躍もすごかった。

シーザリオで日米オークス制覇、ラインクラフトで桜花賞・NHKマイルカップを勝ち、他にもメイショウボーラーでフェブラリーS、フサイチリシャールで朝日杯勝ちがあり。

しかし、武豊騎手の活躍もまた凄くて。ディープで牡馬三冠、エアメサイアで秋華賞、アドマイヤマックスで高松宮記念、カネヒキリでジャパンカップダート。また、カネヒキリやタイムパラドックスで地方G1も勝ちまくってますね。

福永・武豊の二強時代到来か、と思わせるような一年でしたね。


2006年以降は、次回からまた一年ずつ書ければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?