騎手の仕事を強引にサッカーのポジションで例える。
「競馬」と「サッカー」の融合?
相変わらず、サッカーに引きずられ、競馬のインプットをサボっている。。
今も、今夜24時からの「クロアチアvsブラジル」を見ようかどうか、迷っている・・。
そんなこんなで(どんなだ)、騎手の仕事を強引にサッカーのポジションに例えてみる試みで記事をひとつ書いてみる。
言うなれば、「競馬」と「サッカー」の融合記事??
「騎手の仕事」、「調教師の仕事」。
通算勝利数2600勝以上、ダービー3勝の名ジョッキー、福永祐一が調教師試験に合格し、来年2月に鞭を置くこととなった。
ここで考えるのは、「騎手の仕事」と「調教師の仕事」、果たして何が違うのだろうか、ということ。
少し、福永さんのコメントを引いてみる。
太字部分---
「1頭の馬に深く関わりたい。」、「馬生を豊かにしたい。」
他のコメントでは、「騎手は1頭の馬との関わりにおいて、最後にレースで結果を出す役目。」というような意味のことを言っていたと思う。
最後の部分に特化して関わる仕事の面白さより、より総合的に馬生に対して責任を負う仕事に魅力を感じた、ということらしい。
サッカーのポジションに例えるなら。
単純化すると、騎手はレースという馬生を大きく左右する部分で馬を導く役割を負うという点で、サッカーで言うなら点取りの責任を負うストライカーに当たるのではないだろうか。
そして、調教師という仕事は、俯瞰して馬の能力を見極めどのレースに使ってどう結果を出していくかという点に責任を負っており、騎手が騎乗時に接点を持つのに対し、より馬に寄り添う形での仕事となる。
サッカーでいうならゲーム全体を見晴らして流れを見極め、各所に指示を出しゲームをコントロールする司令塔に当たる気がする。
騎手に求められる「ストライカー気質」
もう一点、騎手という仕事はストライカーに似ているのでは、と思った点。
昨日、サッカーの本田選手が、「自分はストライカーにはなれない。自分は意外に空気が読める。ストライカーは実は空気を読んだらダメ。」と話している動画を見た。
騎手にも、時には空気を読まず、「閃き」が求められる気がする。
ぱっと思いつくのは、海外のジョッキーになるが、デットーリやスミヨンなどは、あまり空気を読むタイプではないように思える。
日本でいうなら、福永騎手の父、福永洋一騎手などは、(私はリアルタイムでは見ていないが)「閃き」がすごかったこと、結果を出すことに対する執着心と嗅覚は別格だったのではないだろうか。
(YouTubeで見られるが、ハードバージという馬で勝った皐月賞など、鬼気迫るものがある。)
福永調教師と、エースストライカー・武豊に期待。
一時期ほどの勝ち星は挙げてはいないものの、武豊騎手も、「美味しいところを持っていく」ストライカー気質に未だ衰えがないと思う。
今年のダービー制覇など、まだ勝つのか!という、ある意味「空気を読まない」、他の騎手を置き去りにする最多の6勝目である。(2位が福永祐一の3勝)。
福永祐一騎手ももちろん超一流の実績を残したが、大先輩であり幼馴染でもある武豊騎手にはどうしても及ばなかった。
無意識に、「空気を読んでしまった」せいなのかもしれない。
今度は、調教師となり、「ストライカー・武豊」に最高のパス(馬)を渡し、何度もゴールを決めて欲しい。
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