Vtuberファンは「みんな違ってみんなダメ」?


最近は毎日のようにVtuberファン同士の言い争いを見かける。

理由はいろいろあるけど、だいたいは応援の仕方とか“Vtuber観”が原因のもの。

いわゆる全肯定とかお気持ち民とかモンペとかいろいろ。アンチだってその一部かもしれない(アンチになる熱量がどこかにあるはずだからね)。


こういうの見ると思うの。

好き勝手やればよくない?って。

他人が自分と違う考えを持っていて当たり前なのを何故許容できないんだろう。

自身のTwitterに書き込むことの何が迷惑なんだろう。

よく「こういうのがいるから良くないんだ」とか「荒れるから」とか「○○ちゃんが見たら悲しむから」とか聞くけど、それって自分が見たくないだけなんじゃない?


仮に「○○ちゃん」が見て悲しむ内容だったとして、それってエゴサをした本人の責任じゃないの?って思うのはおかしいのかな。

エゴサって本来そういう覚悟のもとで行う行為だって認識なんだけど。

「○○ちゃん」が見て嬉しい内容しか書いちゃいけないなんて、コメントを監視されているようで息苦しいよ。

少し話が逸れました。


こういうときに言われる「荒れる」ってどういうことなのか未だにわからない。

だってコメント荒らしとは違うでしょう?

Twitterで批判ツイートをするとYouTubeコメントが荒れるって流石に論理が飛躍しすぎてる。


ファンの心が荒むとかそういうことなのかな。

それなら少しわかる気がする。気持ちは伝播するから。


でも、それなら「批判するなー!」とか「全肯定するなー!」みたいなことも言っちゃダメだよね。


個性豊かなVtuberたちが「みんな違ってみんないい」をしようとしているんだから、ファンも「みんな違ってみんないい」をしよう。


ってことじゃダメですか?



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