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愛情難民

前回の記事とも関連するのですが、愛情に飢えている人、つまりは「人に大切にされた記憶に乏しい人」というのは多いのではないかと思います。
まさに「愛情難民」です。

私もそういう人間の1人だと思っています。
家族の愛もよく分かりませんし、男の人に大切にされるということもよく分かりません。
とにかくこれまでは「所有欲の対象にされている」という関係が多かったように思います。

所有欲は愛ではありません。
欲は欲、エゴであり、愛のように相手を包み込むようなものではありません。

そう、私は愛を知らないのです。
大切にされるという経験の乏しい、寂しい人間なのです。
では、そんな私がどうして愛を説く宗教であるキリスト教に帰依することができたのか。
「愛に飢えていたから神の愛を求めた」のかもしれないですけど、それよりも先に「愛を知らないにも関わらず、他者への愛を自分なりに手探りで実践しようとしたこと」を評価して頂けたからではないか、と自己分析しています。

本当に、自分が大切にされた記憶に乏しいので、他者を大切にすることがどういうことなのかもよく分からなかったように思いますが、それでも自分なりに相手の思いを汲んで何とかやって行こうと、そんな風に生きて来ました。

これからも、そのように頑張って行ければと思います。
愛情難民の私が、他の愛情難民の方々に慈しみの眼差しを向けられるように、これからも修行をして行こうと思います。

そんな風に思う、灰の水曜日でした。
四旬節の始まり。
春の訪れ。

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