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長いお別れ

実家で父親の処置をしたことは
次の機会にでも書く。

それが終わって
血だらけの親父と弟と
デニーズで
ステーキを食べたあと
家に戻ったのが
夜11時前。

電話に気が付かなかったせいで
ヨーメが
若干ご機嫌斜めであったが
一日の経緯を話しているうちに
和やかなムードが戻ってきた。

親父との会話を
面白おかしく再現し
スマホで写真を見せたりした
その時
新しいメールに気がついた。

訃報だった。

家族ともども
お世話になっている方が亡くなられた。

私の
尊敬する友人であり
メンターでもある方だ。

体調が悪いとはお聞きしていたので
早晩このようなことになるとは
わかっていたものの
現実化すると
やはり
驚いてしまう。

その方は
身体が不自由であった。

事故で首から下が動かず
車椅子で移動なさる。

明るく
ユーモアを忘れずに
とても気さくであった。

その人を取り巻く
配偶者や友人の方々の
献身も素晴らしい。

お会いすると
いつも
なんとお声がけすれば良いか
迷ってしまうのだが
そんな私たちの気持ちまで
配慮して
優しくご挨拶くださる。

どうして
あのように
明るいのであろうか。

共通の
友人から
その昔
事故直後に
大学病院では
今とは全く違った姿であったことを
聞いた。

暗く
沈んだ表情で
ひとことも発しない
そんな
誰もが
事故にあえば
なるであろう姿を
していたそうだ。

信仰に導かれ
心を強くなされたその方は
何冊もの本を出版するまでになられた。

私は
一人の人間として
残念で悲しい。

その率直な
気持ちを
共通の友人に伝えた。

友人の返信には
コリント15:19が添えられていた。

「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望をいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。」

この信仰があればこそ
首から下が動かない体で
心が自由に飛び回れた
のだろう。

私は寂しい。
この一年で大切な人との別れは
2回目だ。

しかし
私のような悪い人間にも
友人と同じ
信仰が残っている。

私は家族と一緒に
葬儀に参列するつもりだ。

いつも可愛がってくれた
うちの子を連れていく。

そして
こういうつもりだ。

「長いお別れですね。
少し寂しいですが
天国でお会いしましょう。」

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