2023/06/07


 娘の隣で畳む洗濯物は畳んだそばから娘に散らされる。それでもあの娘の近くで畳みたい。彼女と同じ目線で床に転がると、ソファの下が4車線の昼間のトンネルの様に見える。本棚は果てしなくそびえ立つ、全く自分に関係のないものに思える。顔をくっつけると、私の顔の中に彼女の小さなお顔がすっぽりと収まる。そして彼女は泣いて私は抱く。私に抱かれたあの娘は私の肩越しに世界を観察する。安心したように、そして少し勇敢に、壁や鏡に手を伸ばし、伸ばした距離の先、手が触れる。棘でも刺さったのか。すぐに手を引っ込め、母を見る。そしてまた手を伸ばす。手を引っ込める速度の速さが、あの娘と世界との未だ測り知れない距離だということを知った時、小さき者であった私は既にそこには居らず、この娘の母親となった人生を久々に俯瞰し、そして何度目かの背筋が伸びる思いだ。彼女からの愛を、8ヶ月となる今日、一寸の疑いも無く感じられる。あの娘に愛を表現する術が芽生えてきている。まだろくに話せないあの娘の、愛している そばに居て 怖いの 少し寒いわ 等の彼女の知り得る感情の数々の表し方が少し自分に似ているように感じる。彼女は私によじ登って来たかと思うと、私の身体のどこかを食べてしまう。ペチペチペチ。私を叩きながら彼女の精神状態を教えてくれる。それは寝かしつけられているようで優しく、ゆっくりだ。彼女が私の隣で、ゆっくりしているということ、思い出したかの様に時折私を覗き込んでは笑うこと。彼女の意志をもってして、あの娘が私に触れ、笑いかけることがこんなにも尊いことだなんて。もうさようならなんて出来やしない。拙いはいはいで私によじ登り、彼女は私で遊んでる。最も融通の効く。それで良くて、それが良かった。ジッと眠る彼女の寝顔を見ることでしか安らげない時期があった。衣擦れや彼女の吐息を感じると暗くて深い穴にひとりで落ちていく気持ちになる時期があった。なるべく長い映像を探しては音量を上げて見せようとした時期があった。あまりにも疲れていた時期がある。あまりに疲れてあの娘と居ることが怖い日があった。今、やっと心強い。今、やっと一瞬も見逃さない。知らぬ間に、抱かれた彼女が私の首に手を回すようになっていたことを知り、今、やっと、この娘が怖くない。この娘と毎日過ごしている自分は弱くない。彼女の私に対する感情の襞を知り、今日も夜を迎え、明日の早朝、また私は彼女をベビーベッドに迎えに行く。ベビーベッドの中でお利口にお座りして笑顔で待っているあの娘の、その意味に、今やっと、本当に涙を流せる。私、あまりにも疲れてた。そう思えるまでに8ヶ月かかったのだ。季節は変わり、もう次の季節が目前に。彼女にも小さな歯が生え、今月で8ヶ月。すり潰したバナナが好物。緑のお野菜もへっちゃらで、こんなに大きくなりました。私だって。こんなに大きくなりました。彼女の涙は抗議では無い。抗議をするほどまでに彼女は愛から見放されていないのだ。側に私が居る限り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?