2023/10/17


 今日、金木犀の香りをはっきりと感じました。同じく金木犀の香りを嗅いでいたであろう一昨年の今頃はどこでもビールを飲み、テーブルに爪でピアノを弾いては店員を呼んでいた。去年の今日はちょうど娘を産んだ日。産院の病室の窓の先の橙の夕方の縦長の四角からそれは香ってきたのだった。金木犀のそれは風に乗っては強くなったり弱くなったりを繰り返しながらどうやら私達をひどく感傷的にさせるらしく、くだらない感傷は私たちをやけに横柄にさせる。一昨日の夕方、庭の桜の木にあろうことかどこからか鳥が集い、魔女の家の庭よろしくそれらは飛び回りけたたましく鳴いたのち、娘が高熱を出したのだ。迷信めいたものに傾倒して金木犀の香りをクンクン嗅いでいるような貴族の遊びはシングルマザーには向いてない。だけど羽の先が尖っていたあの鳥達はまだ話さない娘の遣いであったのならば。家を出て保育園に娘を置いた一昨日の私は二度と娘に会うことは無かったのかもしれない。熱を籠らせた熱々の娘は私から離れることを潔く辞めた。一歳になった娘が私に回すまだ短いあの腕には意志が込められるようになり、私もあなたに抱き締められたいとあんなに願ったあの私の夢は思いもよらない形で叶えられる。深夜、自分の熱く重たい吐息に溺れかけた娘が泣き声と引き換えに呼吸を得る。私は娘と同じベッドの暗闇の中で娘を見つけ、輪郭をなぞる。同じ形に、ひとつに、今だけは、娘から発せられる熱を全て取り込むように。そうこうしてるうちに娘は一歳になる。本当なら一昨日から私は仕事を始めていた。本当なら今日は仕事を始めて二日目で、本当なら明日は仕事を始めて三日目のはずであった。熱を籠らせた娘の蕩け落ちそうな瞳と目が合った時、この瞳を作ったのは、産んだのは、その瞳に映っているのは、この私なのだと思い知り。私が勤務先に電話口で何度も発した申し訳ありませんという言葉は、手段としてのただの言葉に過ぎず、この娘を幸せにする為ならばケツの穴を広げながらでも何度でも言ってやるとすら思い。真夜中のまたその先の真夜中、熱性痙攣を引き起こし噛みちぎる勢いで私の指に噛みつき離さなかった娘にかけたあの言葉。"しっかりしなさい" "つかさちゃん" "一歳になるんでしょ" "しっかりしなさい。戻って来て" 本当の言葉というものを発した私はその後しばらく話さなくなった程であった。今年感じた金木犀の香りは目に見えた。娘を胸に抱いて庭のデッキのロッキングチェアで揺れていた。娘が残した林檎ジュースがこぼれて視界に小さな湖が立ち上がり、その湖に橙の光として降り注がれた金木犀の匂いは私を現実に踏みとどまらせる。ちっとも感傷的にになんかなってやしない。今の私には感傷的になっている暇はない。働いて、文章書いて、娘を抱き上げる。娘のおでこを金木犀の香りが駆けていく。私の大切なあの娘は秋生まれ。今日は彼女の一歳の誕生日。クスクス。今笑ったのはどこの誰?私が笑った。本当の言葉を用いるのならば。色んなことがあったのだ。私よりも娘が先に泣くものだから私はあまり泣かずに今日ここまで。娘が沢山泣いたのは私を泣かさない為だとしたら。迷信めいたものに傾倒して金木犀の香りをクンクン嗅いでいるような貴族の遊びはシングルマザーには向いてない。今の私には迷信も感傷も必要無い。ただそこにあるのは私がこさえた事実、それだけなのだろう。私は愛している。あなただけを。娘を。この一年間、毎日私はあなたを愛した。一歳のお誕生日、本当におめでとう。

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