2024/03/28


 ほんの少し前までは毎晩キッチンで明日が怖くて気絶するまで酒を飲んでいた。子宮は捻れたまま上壁にくっついてしまったらしい。それは過去に食いまくったドラッグと、聴力と平衡感覚と引き換えに得たゴアトランスの音の中での絶頂、その上昇や下降、そしてうねりの音の中受胎告知を受け今に至る。または、私に「髪を伸ばせ」「下を向いてろ」「車のナンバーを控えとけ」としか言わない数々の通り過ぎていった男たちの影響によるものであるらしい。姿見に全身を映すことなく真冬にも関わらず着古したスウェットに大きなマフラーだけをグルグルに巻いて逃げるようにして出かけた慣れない隣町。ドアを開けて私の背中を刺したのは真冬の厳しい冷気ではない。実母の声だ。鼻まで下げた細縁の眼鏡、右手にはシューベルトの楽譜と赤鉛筆が器用に収まっている。実母のその様子はその頃の私が憧れてやまなかった出で立ちそのものだ。「やりゃあいいって訳じゃないのよ。あなた。死にたいのですね」一人、訳もなく、ただ貧乏ゆすりに合わせてグラスを口に運び続けてはへべれけになり当然に無くした財布を、娘にホットケーキを焼いた後サンダルをつっかけて交番に取りに行く。フライパンで焼いていたのはホットケーキなんかではなく、自分の掌であったほどだ。絵本を読んであげる、根気強く諭し続ける、公園で思いっきり遊んであげる。それだけが親なのだろうか。年端さほど変わらぬ交番のお巡りに「これからは気を付けて下さいね」と言われ、無くしたのはたかだか財布だったのにも関わらず、私はあの娘から父親を奪ったことを、川にあの娘の父親をうっかり手を滑らせて流してしまったことを、流れていく様を横目に沈め、沈め、そのまま沈めと祈ったことを、その姿を見せぬようにまだ乳飲み子であった泣き喚くあの娘に哺乳瓶を無理やり咥えさせたことを、そしてそのミルクにあの娘が溺れたことを、エレベーターを待っている間に私の全身の血管から激流となって心臓に押し寄せた血液たちがしらけてしまうような気がして、私はあの娘を抱いて階段を駆け下りたことを、それら全てのことを「これからは気を付けて下さいね」そう言われた気がするほどであった。失ったのは何万個目かの財布なのか、何万年前の愛の契りなのか、果たしてそれは本当に愛であったのか、掌の火傷の痛みに問うてみるものの頭の芯がどうにも鈍るのだ。鈍った頭の芯に蜂蜜がかけられ熱風庫の中時間をかけてグルグルと。私は思わず、余計なことを。「いらんことやな。それ」こんなコンビニのビニール袋に携帯と家の鍵だけ突っ込んできたサンダル履きの女の財布の中に現ナマがザッと数えて120万。それが一体何故なのか。その理由が分かるのか。おい。お前だよクソお巡り。合コンしようぜ。車の後部座席の窓から流れる街の風景を眺めるだけの人生はもう勘弁。皆が寝静まった誰もいない一人きりリビングでうるさいんだよとゴミ箱を蹴るだけの夜更かしはもう勘弁。あの娘の成長を見逃してしまうようなこの両眼であるならば必要ない。どっかの海賊にくれてやる。私にはあの娘の寝返りと掴まり立ちの記憶がない。私の身体には青い血管が色濃く浮き上がっている。その血管を彼の鼻歌がくすぐり、私、歯をカチカチと鳴らす。「愛している」この半年と少しの間。毎晩酒を飲み気絶をしながら、車のアクセルとブレーキを何度だって間違えながら。あっぶねー、そう呟かれた自分の声は発狂に変わり、突っ伏したハンドル。私の嗚咽と共にクラクションは漏れ出てしまう。役所で警備員に押さえつけられたあの昼下がりのことは今でも昨日のことのように覚えている。雨が強く降っていたある日の朝。いつものように二日酔いの重たい脳みそを少しだけ左に傾ける。左から光が入ると酷く痛むのだ。あの娘は朝から図鑑を読んでとせがんでくる。ママは図鑑は人に読ませるものだとは到底思えない。これはパンダ。パンダが一匹。白と黒。黒と白。ママとあなた。ママと彼。彼とママ。彼とあなた。あなたが決める。あなたが誰といるかを。あなたがいたい世界に連れて行くために私の財布には大金。そしていつもエンジンが温められたデカいアウディ。うちの娘には金がかかる。雨の降りしきる庭先に裸足で飛び出し空を見上げて顔を濡らす。あの子は今頃保育園。彼は何をしているのだろう。阿佐ヶ谷の定食屋で足を組みながら背中を丸めてお茶碗をかき込んでいるかもしれない。雨は私の身体の尖った部分から濡らしていく。鼻先の雨粒は顎を伝いそのまま足の甲に落ちて弾けて消えた。女は濡れたら乾くのだ。そして何度だって濡れるのだ。過去の業を洗い流していく。痛みも厭わない。ある土曜日。東京都美術館に彼といる。私は車椅子に座らされ両耳からビニール袋をぶら下げている。その男のカマロは街路樹の下に路駐されたままなのだ。クロード・モネの睡蓮を目前に私の車椅子を押す彼はこう囁いた。「小さいね」この瞬間も溶けていく子宮と見えなくなっていく右目の視力の速度に振り落とされそうになりながらもその睡蓮に目を凝らす。その奥に水の庭のほとりに腰まで浸かる私を見る。その先に濡れた枯葉を纏った彼のカマロがあり、あの娘も耳に髪をかけるあのあまりに美しい癖を残したまま少し大きくなっている。私はまた濡れている。女は濡れても何度だって乾くのだ。痛みは厭わない。車椅子は彼の少し速い速度に合わせて進んでいく。これが今の私の紛れもない速度であり、そのスピードは今までのどのトリップにおいても筆舌し難い上物だ。私の身体に張り巡らされる青い血管は赤みを帯びる。花になる。女という花になる。女の子を育てている。花を育てている。その花だけは絶対に枯らさない。あの娘を連れて爪先から恐る恐る舞い降りてきたこの世界が、また速度を持って動き出した今、私が腰骨にいれたアラビア数字のタトゥーは娘の出生体重。2706。あの重みを忘れない。もうあの頃には戻らない。

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