日本語ラップしか無かった浪人生たち
2014年に起きた新宿駅南口ルミネでの焼身自殺をたまたまこの目で見ていた。火だるまになって彼の首がガクンっと落ちるまで、これは彼の一世一代の大道芸なんだと信じていた。あたしは当時代ゼミ本部校で浪人をしていて、19歳だった。
その日は代ゼミで、実家が京都でお医者さんをやってる多浪の先輩とガリガリ君を並んで食べた。コンビニの喫煙所で拾った吸殻を溶けてしまったガリガリ君に挿して、焼身を図った彼のお墓を作った。
あの頃の代ゼミには、飼い猫を動物病院にばっかり連れて行って予備校に全然顔を出さない女とか、毎日スーツを着て会社員ごっこをしていた奴とか、ビニ傘の先端でサラリーマンの顔面をグチャグチャにして少年院に入った過去を持つ男の子なんかもいた。
もし明日、あたし達のうちの誰かが山手線に飛び込んだとしても、あたし達は喪服を着てお通夜にお利口さんに参列するのではなく、それが当然であるかのように溶けたガリガリ君にお線香をさして手を合わせるような気がしていた。
出自不明なおかしな皆さんにとって此処"以外の全ては遠い外国のような"他所"であった。
みんなと一緒ならチャリンコ乗ってるOLの後ろに飛び乗って通報されることすら容易に出来た。あの頃のあたしらはみんな、どこにも行くことができなかった
蛍光ペンで真っピンクにして遊んでしまったプリントの山と、伊勢丹のDiorで化粧部員にしてもらった完璧なお化粧、風俗とパチンコと誰かんチのオカンがアル中になったという話、バツが増えてきた問題集。
あたしは自習室の椅子に座ってくるくる回りながら膝の毛を毛抜きで抜いていた。そして、このままあたしだけはここから逃げ切れますように、と願っていた。
そして誰もいなくなった。
あのとき、数人を置いて逃げ切れたあたしは、
誰かが話したしてもいない架空のバッドトリップの話すら愛しく思えている。
今でも電車から代ゼミが見えると、あ、代ゼミじゃん。と呟いてしまう。
小田急線の踏み切りの横にあるデニーズの食器の触れる音の騒がしさや、なんでやろな?が口癖だった先輩が腰につけていたクロムハーツのチェーンがぶつかる音も、今でも鮮明に覚えている。その先輩の腕にぶら下がりながら代々木を歩くあたしと、脱げてしまったサンダルも。
コーラを持って歩いていた八重歯の女に、恥ずかしくないの?と聞いたとき、八重歯の女が『なんで?コーラかっこよくない?』と答えたことも、ちゃんと、覚えている。
だけどもう、彼らと話すことは何もない。
19歳のあたしの、柔らかくて、生臭くて、可愛くて仕方ない思い出のすべてたち。重力ピエロの結末をわざわざメールで送ったことまだ怒ってる?
平成ももう終わりという頃、新宿から歩いて行ける場所に代々木というユートピアがあった。
草木が生い茂り、花は咲き乱れ、鳥が囀り、蝶が飛び交っていたが、人間だけが一人も居なかった。
あの頃のあたしたちはまだ人間になりきれていないお人形さんだった。