2024/08/15


 ただの母音の発声だっただけの"ママ"が、最後にクエスチョンマークがつく問いかけの"ママ"にはっきりと変わってきた。適当に答えてもいられないような問いかけが飛び交う今日この頃。2歳直前の娘を連れてちょうど1年ぶりに海外へ。今年の夏はオーストラリア。オーストラリアはゴールドコースト。私たちを優しく抱き上げ広大な大地に解き放ってくれたのは、ステップファミリー制度に寛大な白人紳士でも、夜毎、女児の下着に指をかけにくる牧師がいる教会でもなく、サーファーズパラダイスの炭酸みたいな柔らかな白波であった。ゴールドコースト滞在2日目にして、私はホテルのトイレでその白波のような胃液を明け方まで吐き続けることになるなんて思いもしなかった。まさか、翌日は一日丸ごと寝込んで、娘を抱きながらホテルの部屋のテレビでフットボール観ることに。娘は私に"ねんねしよ"そう言って私の横に寝転び抱き枕になってくれ、試合の進行をちいちゃな奇声をホイッスル代わりに見守ってくれていたのだった。シーズンオフのビーチはやっぱりどこかもの寂しげで、閉じられたシャッターやゴミ箱が落とす影は、ハイシーズンにしごき倒された地元のマアコが使ってるあのディルドみたいにどこかくたびれていた。雨季に入ったゴールドコーストは当然に毎日が雨で気温も低い。スウェットにデニム、履きなれたスニーカーがちょうど良いよね、ちょっと早いけどあのお気に入りのコートも出してみたいな。そんな気分。飲み物だって本当は温かい方が良い。一緒に歩く男の子も粗削りの青さを色濃く残した少し話のつまらない男の子が良い。そして私もどこかの誰かを思い出す。娘のバギーを覆う布はもちろんあの娘のお気に入りのものであるべきだ。そんな街、そんな中、お臍を出してブロンドのその長い髪で携帯番号を空中に残しながらお尻を振って闊歩するゴールドコーストのギャル達とすれ違う。当然に私達は何となく目が合って、彼女達は娘にウインクをする。到底真似できない、求愛でも欲情でもない、ため息のようなウインク。娘が最近覚えた投げキッスをして。彼女達の喧騒が背中で小さくなっていく。次の赤信号が青に変わる頃、私達はお互いのことすっかり忘れてしまう。私達は忙しいのだ。私と娘はホテルでスーパーで買った苺を切ったり、味噌汁を作ったり、通りから聞こえるサイレンの音に耳を澄ませたり。大きなセントバーナードが眠る横でパイを食べたり、使い勝手の悪いシャワーで髪をとかし合ったりした。トラムに乗って街に出る度、私たちは決まって同じ席を選んで座った。毎日大体同じ時間にジェラートを食べにお出かけして、その車窓の横を競うようにカモメが並走して、娘は喜んでカモメを指さす。その小さな小さな人差し指が車窓につまずいてしまう度、少し残念そうな顔をする彼女はまだ窓の意味がわからない。内と外の違いが曖昧だ。彼女はまだ外にひとりで出たことがないのだ。私は娘の可愛い耳を鼻でくすぐる。そうすると娘が『もういっかい』そう言って、私たちは何度も何度もその同じ愛のダンスを。トラムの線路上。毎朝同じビーチを眺めていたら四谷までの満員電車が恋しくなる。首から下げた社員証の重みに肩が凝り出すと、空港のなんとも言えぬ気怠さが恋しくなる。同じ男に同じ話をされ続けると、新しい男と初めての話をしたくなる、そんなものでしょう。日本を出発する前は、帰国したら全てのことが覆されて、全てのことが変わっている気がして怖くなっていた。長すぎる思春期な気もしたけれど、そう思うくらいにはここ一年は誰のこともまともに大事に出来ていた気がしないのだ。バカなりに毎日頭を使って生きてきた、離婚をしてからのこの一年間。少し疲れたこの頭と娘のちっこい頭をトラムの窓の枠の中、こっつんとくっつけながら流れていく夕方の曇り空を眺めながら思ったのは、私にはこの距離、この温度、この娘といることがしっくりくるということ。娘に起こされるんじゃなくて、私が会いたくて起こすんだった。保育園に迎えに行ってあげるんじゃなくて、私が早く会いたくてあんなに毎日急いでいたんだということに気付かされ、『ママ、やめてよ』どうやら娘の首筋に埋もれてしまっていた。トラムは終点へ。フリースにショートパンツにサンダルをつっかけた青年が終点を知らせてくれる。大雨が続いたことによってコアラもカンガルーも見せることが出来なかった。娘に見せたものと言えば便器に吐き出されたオロナミンCの色をした私の胆汁と、同じく吐き出されたなにか紐状のもの、カモメ、マリファナショップ。前髪の短い男の子の顔に散りばめられたボディピアス、紅色のロブスター。空から見下ろす滑走路。気が遠くなるほど続く雲のカーテン。日本では忙殺されていく毎日を送っていると思う。娘にどんな問いかけをされても、『そうだね、バイキンマンいないね』たったその一言だけで晩御飯が出来上がるまでキッチンに立ち続けたことだってあった。あの娘の声だけに耳を澄ませて時間を溶かしたこの5日間。雨で良かったとさえ思う。入園料の返金はされないままだけど、その分は黙って稼ぐよ。離婚してからのこの一年間、毎日ママチャリで娘を保育園に迎えに行ってからの帰り道はまだ言葉を話せないうちからあの娘に必ず"大丈夫?"と声をかけていた。毎日毎日声をかけた。"大丈夫だったの?大丈夫?"大丈夫かどうかだけが気になって。大丈夫と言えたから泣きやめたこともたくさんあったから。大丈夫?と聞かれて、やっと話せることもたくさんあったから。そんな風に声をかけ続けていたら、いつの日か、娘が私に"大丈夫?"そう声をかけるようになっていた。私が人にかけてきた罵詈雑言、自分を守るために並べてきた支離滅裂な屁理屈、それら全てが同じ声というものによって発せられるとは思えないくらいに娘の声は美しい。耳馴染みの無い秘境の丘の教会で鳴いてる青い鳥みたいな声をしてる。そんな声で"大丈夫?"そう声をかけられて、娘と抱き合って浸かった湯船の中で声を出して泣いたことが今までに一度だけ。なかなか泣き止めなくて、娘の肩は冷たくなった。"大丈夫?"そう声を掛け合う親子でいようよ。実際、全然大丈夫じゃなかったし、でも大丈夫になったし、大丈夫にしたし。ね。そんな親子でいようね。大切なものの為にかけられる言葉をたくさん持ちあわせて、相手にかけたその言葉を自分にも大きく返して、そして胸に留めて。そんな風に生きてこうね。日本はまだまだ暑いでしょ。それはそれで悪くないでしょ。でも私が29歳、この娘が2歳になる頃には徐々に日本も寒くなる。寒い頃には寒い頃でたくさん考えることがあるからね、例えばお鍋の具材とか、着るべきセーターとか履くタイツとかそんなこと。日本に帰ってから迎える冬に胸を膨らませる為に、今、ひと足先に冬を迎えているゴールドコーストでマフラーを買う。しかもとびきり可愛い高いやつ。そんな風に季節を紡いでいくんだよ。そんな風に去年のあの夏、あのベトナムで、ハノイで泣きながら春巻き食べてビール飲んでたんだ。なんとなく入ったコーヒー屋で、隣の席のオランダ人の女に煙草を一本貰って、少し話をしたの。この後降り出すであろうスコールの話。あの日からこの夏まで、ママ、季節を紡いできたんだよ。そんな話を娘にしてみても、なんだこいつ。歌を歌っている。私の可愛い小鳥さん。なんで私はこんなに吐くのだろう。身体が空っぽで抱っこした娘の膝が内臓に侵入してくる。逆に収まる程だ。やけに喉が渇いてコンビニで買った缶コーラのプルタブが外れてしまう。『ママ、大丈夫?』死にたくないな。死ねないな。トラムの車窓から愛を込めて。娘が2歳になる前の夏のこと。ごちゃごちゃ言う人、無理なのママ。ごめんねパパアンドママ。パパ居ないけど。私、この一年ごちゃごちゃ言わないでやってきたし、これからもやるし、ごちゃごちゃ言えなくなって、書けなくなったし。だから、帰りの機内。後ろの座席の子連れの母親と喧嘩した。ごちゃごちゃ言ってるから、喧嘩になった。"母親同士仲良くしましょうね"誰かはそう簡単に言うの。そうは問屋が許さないの。何もしないで機内食だらだら食って、貰ったスナックすぐ開けて、子供に混じって配られるアイスクリームにすら手を伸ばすちんちん付いてるだけの何もしない旦那なんて私にはいないの。ちっせえヘッドホン付けて首にギプスでもしてんの?真っ直ぐ目前のディスプレイ眺めて。日本語字幕あるもの器用に選んでる。そうゆうとこだけは抜かりないんだね。だから、その女と喧嘩になる。てへりんこにごちゃごちゃ言うのだけは辞めて。表出なよ。あ、やばいやばい。ここは香港の上空でした。"大丈夫?"あの娘の声がする。全然大丈夫じゃないの。ママ、大丈夫だと思って喧嘩になったこと一度も無いの。大丈夫だったこともないし。ママ強いよまだ、だから大丈夫。トイレ行くたび、ババアの息子の、通路に放り出されたきったねえ足、しっかり蹴り上げてるよ。やっちゃいけないこと、全然やるよ。自分と、守りたいものの為に。だけどちゃんと、ほんとにやっちゃいけないこと、分かるようになったよ。つかさをひとりにしない。ただそれだけ。カンタス航空61便より愛を込めて。目を閉じて深呼吸をして5カウント。言ってやるんだ。言いたいこと。ねぇ、おばさん。無視すんなよ。4時間前から気になってた。先にふっかけてきたのに無視されたこと。てへりんこは粘着質の分からず屋。それでも本当の愛を知っている。長いフライト、長い人生。長くて長い長すぎるフライト。長い人生。

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