告ぐ


 告ぐ。皆々様各位。他人の幸せを心から喜べるということはそりゃ大層誉められたものではけれど、他人の幸せを喜べるという振る舞いに固執してしまう竹取の翁ありけり。惚気、昇進、栄転、子宝ザクザク、受賞。他人の幸せは自分の幸せだと思えることは、自分が現在満ち足りてるからという印象を与え、世間を欺ける。そんな振りができる。賢ければ賢いほど、その振る舞いの中にあえて数滴の闇を垂らす、これまた振りをすることによって、満ちている、溢れている、あり余っている振りができる。まともな人として生き長らえることができる。まともという評価はどうやら有難い。単純に主張を通しやすくなる。歯の無いジジババって、はなっからボケてると決め付けてかかるでしょ。そうゆうもんでしょ。しかしだよ。本当に幸せな人間ほど、幸せの基準は極めて高く、その基準は上がり続けていくんだよ。金持ちってケチでしょ。それと同じで、状態と行動・意識は反比例したりする。その逆説的部分が人に年相応の厚みを生むのらしいのです。やっぱみっともねぇんだってさ。いい歳してなんでも大好き。毎日お日様。おにぎりウマウマ。赤ちゃんかわゆす赤ちゃんかわゆす。赤ちゃんは可愛い。でも可愛いだけで育たないでしょ。仕事もそうだってさ。稼がなきゃ意味がないでしょ。時間潰してブランコ乗ってるんじゃあるまいし。子供産んで思ったんだよてへりんこ。幸せになろうね、それだけだったらあの娘は生後3日で簡単に死んだだろうよ。本物の人間の追求はとどまることを知らない。あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい。本物の人間は簡単には感情は揺さぶられない。本物の人間にとっての他人の幸せはもしかしたら既に通り過ぎた時点でのことかもしれない。というか、見えてない。自分がその人の視界に入らなかったらこちらの負けでしょ。勝ち続ける人は不必要なものに視力を割かない。興味を無くした洋画の字幕なんか追わないでしょ。身震いするわ。そんな記憶がまだ身体の奥底に小さく小さく尖ったまま残っている。間違った豊かなふりだけは絶対すんな。人の幸せ、喜べるやつなんてこの世にいない。人の幸せを喜べてる時は自分の領域外の話の場合だけ。『甥っ子が東工大受かった』おめでとう。てへりんこ、友達が良い文章書いたら素直に悔しいもん。読まないと思う。読みたくないから。そうゆうことだから。酎ハイで酩酊した夜の思い出の具現化みたいな奴らに告ぐ。ダサさから逃げんな。広告屋にも告ぐ。マスに対するぶりっ子もう辞めてくれ。トー横キッズにも告ぐ。ジャグラーごときで勝っただの負けただの辞めなさい。お外でおちんちんしゃぶるのも辞めなさい。世の中の所謂スパダリに告ぐ。嫁と子供を気が済むまで殴れ。旦那惚気界隈の女に告ぐ。いつまでもいつまでも、旦那に会陰切開の話を聞かすのは辞めなさい。あなたがしていることは生物学上子供を産めない男に対する出産連続性奇跡史上壮絶体験ハラスメントだよ。育成ゲームの結果、喋るディルド爆誕。おめでとう!今夜は豚カツよ〜!!!!!

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